若いころは死への憧れがあったという。
梶井基次郎の短編小説のなかに「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている」という有名な一節がある。
五島さんの代表作の一つに福島県川俣町の「秋山の駒桜」を写したものがある。推定樹齢500年以上、高さ約21メートルの巨大なエドヒガンザクラだ。
「昔、この桜を見つけたとき、優美な姿に魅了された。周囲は桑畑で、写真を撮りに来る人なんて誰もいなかった」
■墓守桜を巡った
「秋山の駒桜」の太い幹の根元にはいくつもの古い墓がある。
「それを見たとき、『ぼくもここに入りたいな。死んだら、骨をここに埋めてくれないかな』と思った。若いときの作品は梶井の世界だった。でも、だんだんと歳を重ねてくると、死んだ後も桜の木の下でさんさんと朝日や夕日を浴びたいな、と。そんな気持ちになってきた」
福島県の中通り地方には大きな桜がそびえる小高い丘がたくさんある。周囲にさえぎるものがなく、太陽の光をさん然と浴びる桜の下に墓がある。何百年前も前、亡くなった人のために墓のとなりに桜を植えた。それが巨木となり、春になると大勢の人々を楽しませている。五島さんはそんな墓守桜を撮り歩いた。
「梶井の世界というのは、死人の血を吸って花があでやかに咲いている、そんな生命観というか、輪廻(りんね)を表現していると思います。でも、ぼくの墓守桜の作品はそういう発想じゃなくて、先祖の魂を見守る桜の温かいまなざしです」
今回、五島さんが見せてくれた「秋山の駒桜」は深いもやに包まれている。古い墓石は周囲の風景に溶け込んで違和感がない。
「知らず知らずのうちにこんな幽玄な世界が心の中にふつふつと湧き上がってきた。もやが織りなす幽玄な世界に出合うべく活動するようになった」
■もやの空白の美
それが明確になったのは5年ほど前。
「これまでは場所や被写体を擬人化したり、自分自身の喜怒哀楽を写してきたんですけれど、この水墨画のような世界にはもう自分自身がいないというか、取るに足らない自分自身の存在を超越したものであると思う」
絹のベールのようなもやは単なる霧ではなく、幽玄で幻想的、そして奥ゆかしい。そこに日本の美を感じる。
「京都・竜安寺の枯れ山水の庭もそうですが、空白とのバランスで引き立つ美しさがある。ある意味、非現実的な造形美」