「養護学校では先輩医師が校医として障害児の保護者や教員の相談に応じたり、車椅子や機能を支える装具の作製に立ち会ったりしていました。『医師としてこういう働き方もあるのか』と初めて見る世界に心を奪われました」

 その後、内科でも実習をしたが、ピンとこなかった。

「将来の医師像をイメージしたときに、養護学校で働いていた先輩医師の姿ばかりが浮かんでくるのです。『これはもう、リハビリ医しかないのかなあ』と。病院の外でも活動の場があるというのは、実は私の父も同じでした。患者さんに呼ばれてよく往診に行っていたのです。今思えば、その影響もあったのかもしれませんね」

写真右が水間正澄医師(写真/写真映像部・高野楓菜)
写真右が水間正澄医師(写真/写真映像部・高野楓菜)

■障害児の自宅を訪問して初めてわかったこと

 整形外科に入局後は、脊髄損傷患者のリハビリに力を入れていた福島県の太田熱海病院へ。研修医時代の2年間は、患者のリハビリを実際に行う療法士たちにお願いして、リハビリテクニックの数々を教えてもらった。

「療法士さんに教わったリハビリを医師がやるのです。患者さんにも随分とご協力いただきましたが、こうした経験は後進を育てるときの方法として大いに参考になりました」

 研修終了後は大学病院に戻り、先輩について脳卒中や手術後の患者のリハビリに取り組む。同時に養護学校の校医も兼任。学校に来ることのできない障害児の自宅訪問も行った。

 自宅訪問では、リハビリが患者の暮らしを支える医療であり、患者や家族を深く理解する意識が大事だと実感したという。

「例えば脳性麻痺などがあると起こりやすい痙縮(けいしゅく)という症状があります。筋肉が緊張して手足が動かしにくくなるものですが、強い痙縮があると夜間に痛みで眠れません。夜中に何度も起こされる親御さんも大変ですが、そうした現状は自宅を訪問しないとなかなかわかりません」

 当時を振り返って、「今だったら、もっとできる」と思うことも多い。

「ある障害児のご自宅に行ったときのこと。お子さんが日常のほとんどを過ごすベッドが、家族が過ごす居間ではなく、廊下に置かれていました。間取りの関係で仕方がなかったのですが、今のリハビリ技術があれば、もう少しからだを起こせるようにしてあげられたかもしれない。ご家族とのコミュニケーションも深められただろうと思います」

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