「沼にはまる」という言葉がある。何らかの対象に夢中なることを意味するが、時には、沼にはまりすぎて、仕事や家庭がないがしろにされ、崩壊寸前までいく人もいる。ライターの沢木文さんはそんな人々を取材して11月8日発売予定の『沼にはまる人々』(ポプラ社)にまとめた。同書では美容整形、筋トレ、ホストなど、さまざまな沼にはまった人々の実態が描かれているが、紹介しきれなった人も多い。AERA dot.では、そんな多種多様な「沼の人々」の事例を沢木さんの短期連載として配信する。【前編】に続き、「中学受験」の沼にはまった男性の結末を紹介する。
* * *
会社員の中野信雄さん(48歳=仮名)は、5年前に一人息子(16歳)の中学受験にはまった。
小5の4月から受験勉強を始め、最初は偏差値35からの出発だったが、順調に成績を伸ばした息子は半年で偏差値50に到達。小学5年の9月には難関受験に頭角を現している新興塾に転塾し、信夫さんは仕事をしながら息子の生活と勉強を管理する日々になった。
息子は国語が苦手だった。特に小説から感情が読み取れず、成績が上がらない。そこで、物語の追い方、論旨はどう展開するか、解答に結びつくキーワードをどう探すかなどを信雄さん自身が教えることにした。
「しかし、息子は半分寝ている。私が“声に出せ”と言っても反抗的な態度を取る。息子を蹴り飛ばしたのは、私が“傍線を引け”と指示したところとは別の場所にチェックをつけたとき。こっちはフラフラになりながら、必死で教えているのに、その反抗に腹が立ったんです」
沼にはまる要素のひとつに“快と困難のバランスの絶妙さ”がある。中学受験は親にとって、子どもの成績が上がるという強烈な快のほかに、子どもが服従するという快もある。この快を得るために、子どもに勉強をさせるという困難がある。快と困難の層が重なるほど、沼にはまっていく。
「1年間勉強して、麻布や慶応大学付属には手が届かないことがわかりました。有名校は、問題を解くことを楽しむ子どもたちのみに門が開く。そこで、明治、青山学院など有名大学の付属を狙おうとしたのですが、そこでも国語が足を引っ張る。読解力がないと、社会や理科も伸び悩む。得意の算数も得手不得手が目立つようになっており、息子には“あと10カ月だ。そこで、今後の人生が変わる”と話しました。その頃には息子もやる気になっており“絶対に○○に合格するぞ!”と言うようになっていました」