神谷さんは普天間基地のすぐそばで生まれ育ち、「そこに山があるように基地があった」。1995年の少女暴行事件を機に、基地問題に目を向けるようになったという。
オスプレイ配備を受けて、神谷さんは動いた。キリスト者として、非暴力の手段で米軍基地に抗議し、平和を訴えよう。12年10月29日、「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」が始まった。しかし、なぜゴスペルなのか。
「米兵はゴスペルを知っています。『あなたがたが歌っているゴスペルを、私たちも歌います。私もあなたも、同じ人間なんですよ。その上空にオスプレイを飛ばせますか』と。彼らの心にゴスペルを通して『くぎを刺す』。そんな思いで始まったのです」(同)
シュプレヒコールを上げることも、拳を振り上げることもしない。「きれいに」ゴスペルを歌い、祈り、命の軽視にあらがう。そんな活動を週1回の約1時間、10年間にわたって続けてきた。
いつも現地に「一番乗り」するのは、牧師の平良修さん(90)、悦美さん(88)夫妻=沖縄市=だ。沖縄が米軍統治下にあった1966年、当時の最高権力者である高等弁務官の就任式で、修さんは「新高等弁務官が最後の高等弁務官となり、沖縄が本来の正常な状態に回復されますように切に祈ります」と述べ、話題を呼んだ。あれから半世紀余り。日米両政府に踏みにじられてきた歴史を知る平良夫妻は、名護市辺野古の新基地建設の現場、そして普天間基地と、抗議行動を続ける。悲壮感はない。修さんは「We Shall Overcomeのshallは神の意志です。勝利は決まっている、と。その勝利に向かって、われわれは今日すべき努力をしているのです」。その横で悦美さんは「力に力で対抗するのは戦争の論理です。私たちは尊厳を求めて、弱さの論理で抵抗します」と話した。
那覇市の牧師、仲本貴子さん(70)はもともと「ノンポリ」で、市民運動などとは無縁だった。沖縄が日本に復帰した50年前は名古屋大学生で、卒業後は愛知県内で教員になった。親の介護のため、10年前に沖縄にUターンした。
「毎朝、(沖縄の)新聞を読むたびに腹を立てました。辺野古に対する政府の対応など、沖縄がいかに理不尽な状況を強いられているのか、よく分かりました。新聞を何度、床に叩きつけたか……」(仲本さん)