北京五輪・男子シングルで金メダルを獲得した際のネイサン・チェン
北京五輪・男子シングルで金メダルを獲得した際のネイサン・チェン

 そんな中で、例外的に書かれていたのが18年の平昌オリンピックでの羽生選手のことである。ネイサンは平昌オリンピックで優勝候補の一人だったが、SPで大きな失敗をして17位という予想外の立場に立った。「毛布の下から出ていきたくない」という心境になったと本の中で告白している。だがフリーの日の公式練習で調子を取り戻し、引き揚げようとしたときにちょうど羽生さんが準備をしているのを目にしたのだという。少し抜粋してみよう。

「もしかして僕は自分の気持ちを単に投影していたのかもしれないけれど、ユヅルは時間をかけて2度目のオリンピックに出場すること、そしてタイトルを守る瀬戸際にいることを存分に味わっているかのように見えた。それは楽な立場ではなく、1948年と52年に勝ったディック・バトン以来というオリンピックチャンピオンとしてのプレッシャーはすごいものだっただろう。けれどもそれらの期待に不安になったり、イライラしたりするような様子はなく、彼はとても落ち着いていて、試合に出られることに感謝をしているように見えた。そして自分はこの大会に来てから、そのような気持ちになったことが一度もなかったことに気が付かされた」(筆者訳)

 直接話していないので、自分の思い込みかもとしながらも、この公式練習が彼の気持ちの転換になったのだと告白している。

 そしてネイサンはフリーで6度挑んだ4回転のうち5本を成功させてフリー1位、総合5位まで上がったのである。あの日の公式練習で羽生さんを見かけていなければ、ネイサンの平昌オリンピック体験は全く別なものになっていたかもしれない。

 米誌の取材に応えてネイサンは、「オリンピックは生涯忘れることのない特別な体験」と語り、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に復帰する可能性もゼロではないことを告白。これからの展開が、楽しみである。

週刊朝日  2023年3月10日号

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