■ギャンブル嫌いの母の影響で投資を避けていたパックンがお金を育て始めた理由
僕がこんなふうに投資をポジティブに考えるようになったのは、高校生のときでした。
実は小学生の頃から、クリスマスプレゼントに親から株をもらって、「俺はコカ・コーラのオーナーなんだぜ!」なんて威張っていた友達のことを見て、ちょっとうらやましいな、とは思っていました。
しかし、それはお金のある家庭だけができる、危ない遊びで、僕らとは関係ないと思い込んでいました。
僕の家は毎月ギリギリで生活をしていたので、母の教育としては、ギャンブルなんてもっともやってはいけないことでした。
価値のないモノを買うなんて絶対に許されなかったし、万が一、ギャンブルに勝ったとしても、誰かのお金をもらうことになるのです。
母からは「相手が私たちと同じぐらい困っている人だったらどうする……?」といった話をよく聞かされました。
アメリカで相手と意見が違うときは「Wanna bet?(じゃあ賭ける?)」と言ったり、予想するときは「I bet….(……になるように賭ける)」と言ったりして、なぜか賭博っぽい慣用表現が多いです。
無意識に使うものではありますが、そんな言い方ですら、母は毛嫌いしていました。
そんなギャンブル大嫌いな母も、あることをきっかけに投資を始めたのです。
それは、僕が高校2年生のとき、母が交通事故にあったときのことです。
車を運転していた母は、飲酒運転をしていた車に正面衝突され、複数箇所を骨折するなどの大ケガをしてしまいました。
母は、何年もリハビリが必要だと、医師に言われましたが、それでも元どおりの健康体に戻る保障はありません。
そこで、まとまった保険金をもらった母は、将来の医療費のことを考えて、投資を始めたのです。
母が投資に積極的になったのは、まとまったお金が初めて手に入ったからだけではなく、事故によって人生のリスクを痛感したからだと思います。