放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、お笑いの審査員に決まった山田邦子さんについて。
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「M-1グランプリ2022」の決勝戦がいよいよ12月18日に放送される。もはや国民的イベントとなったM-1。一夜にして人生が大きく変わる瞬間を目撃できることってなかなかない。出来れば僕も生で見たいと思ってしまう。この「わざわざリアルタイムで」「わざわざテレビで」というのが今のテレビにおいての重要なキーワードだとは分かっていながら、そんなものをそう簡単に作れないのも現実。
今年のM-1で楽しみなのは、審査員の山田邦子さんである。上沼恵美子さんが抜けたところに女性が入るとは噂されていた。いろいろ想像もしてみるが、結果、蓋を開けてみたら、山田邦子さん。
正直、想像もつかなかった。だが、考えてみると、80年代に女芸人というポジションを作り上げた人である。数々のヒット番組を成功させた人であり、今も精力的に浅草の劇場などに出ている現役の芸人さんである。あのキャリアで劇場に出てネタをやっていることがすごいですよね。そう考えると納得の人選。
メディアに出ると棘のある発言もちょくちょくする。だから、ちょっとしたハラハラもある。もっと置きにいった人選も出来るはずだが、そこの思い切りが素晴らしいし、新たな空気を運んでくれる気がします。
山田邦子さん。30年前、僕が最初にこの世界に入ってレギュラー番組の仕事を二ついただけた。それがニッポン放送での「槇原敬之のオールナイトニッポン」と、土曜の夕方に放送されていた「山田邦子 涙の電話リクエスト」という番組だった。
毎週、土曜日に生放送。20歳で入りたての僕は、ADさんのような雑用もこなしながら、放送作家の見習いをさせてもらった。
時はバブルの絶頂期。ラジオだというのに、毎週、放送終わりで、邦子さんとスタッフ10人以上で打ち上げをするのだ。高級焼肉か高級しゃぶしゃぶ。当時、うまいと言われていたお店にはほとんど行ったと思う。当時の僕のようなペーペーも一緒に連れて行ってくれた。食事が終わると、大体、六本木の黒沢年雄さんがやられていたカラオケ店に移動。