「silent」を「silent」たらしめる、これら一連のセリフ=言葉に頼らない演出は見事だった。これによって川口春奈演じる主人公・紬の心の揺れ、目黒蓮演じる想の秘めた思い、そして鈴鹿央士演じる湊斗の葛藤が、より浮き彫りにされていき、まるで雪のように静かに視聴者の心に積もっていった。
二つ目は、“余白”のある画面構成。
他のドラマと見比べるとわかりやすいのが、必要最小限のボリュームに留めたBGMと登場人物のアップの多用である。第5話の最後、紬と想がテーブルを挟んで向かい合うシーンには、小津安二郎の映画にも通じる雰囲気を私は感じた。
また想と紬に限らず、登場人物がテーブルや机を挟んで左右シンメトリーに位置する画面が多かったように思う。目には決して見えないが、その空間には確実に言葉や感情が行き交っていた。そう、「silent」には、登場人物の言葉や行動の意味を想像させるための余白が常にあり、視聴者は落ち着き、時間をかけて作品世界に没入することが可能となる。
見る側がドラマ世界に浸ることを妨げる、いわば“ノイズ”を極限までそぎ落とすことで生まれるさまざまな余白が、情報過多の現代社会に疲れている視聴者に“癒やし”として受け入れられたのではないだろうか。
加えて、「silent」が非常に令和的でもあったのが、TwitterやTikTokによる積極的なプロモーション展開だ。公式Twitterでは、放送中はもちろん最終回後も撮影風景などのメイキング動画をコンスタントにアップ。TikTokではキャストにフォーカスした名シーンを投稿。視聴者である私たちはこれらの動画を通じ恒常的にドラマに触れることで、「ドラマを見る」という行為のハードルがいつの間にか下がり、生活に落とし込まれていく。
作品の持つ静けさとはまた違う、良い意味でにぎやかなプロモーション展開によるギャップも、奏功したのではないかと思う。