世羅高校の駅伝の歴史は戦後の復興に関わってくる。
「広島県世羅郡世羅町は、第二次大戦後、物資の乏しい時代に逆境を糧とし、靴以外の道具を必要とせず、少ない費用でできるスポーツとして「駅伝」が世羅高校、さらには地域の文化として根付きました」(「世羅高校駅伝必勝プロジェクト」ウェブサイトから)
駅伝指導者の力も大きかった。
初代の内海冨貴郎監督は、第2次世界大戦で激戦地から奇跡的に帰還した復員兵だった。内海氏は、生還を果たした将兵には、(1)走力、(2)洞察力、(3)信ずる対象を持っている、という共通点があり、これらを戦後の混迷の生き抜く力ととらえて、培うことを教育理念として貫いたという。
「内海監督は終戦直後の混乱期、戦地で得た教訓をもとに長距離走や駅伝の教育に邁進。理不尽で不合理な練習を排し、合理的で効率的なトレーニング法を確立。世界で最も早くから組織的なインターバルトレーニングや豊かな自然環境を最大限に生かした練習を実践し、創部からわずか数年後の昭和25年(第1回大会)、同26年(第2回大会)の全国高校駅伝を連続で制すなど、幾多の傑出した人材を世に送り出しました」(同前)
2020年、世羅高校では、「TOP TO RUN!高校駅伝のルーツ世羅高校駅伝必勝プロジェクト」を掲げ、クラウドファンディングで支援を求めた。(1)秀でた長距離アスリートを育成するための練習環境の整備、(2)日本文化や長距離走を学ぶケニア人留学生の支援のためだ。その結果、年内に第1次目標200万円を達成することができた。
■青山学院大駅伝部・原監督もOB
同校OBには青山学院大駅伝部監督の原晋さんがおり、彼もプロジェクトでこう支援を呼びかけている。
「『駅伝の聖地世羅!駅伝なくして世羅は語れない』と言っていいほど世羅にとって駅伝は重要な存在です。高校駅伝のルーツでもある世羅高校がこれからも世羅の町とともに輝き続けて行くよう是非ともお支え下さい。全国の駅伝ファンのみなさんご支援よろしくお願いいたします」(同前)