生活費を浮かせるため、食材などを共同購入することも珍しくなかった。酒は罇で買って升単位で分配している。燃料の炭などもまとめ買いした上で分配した。

 調味料の味噌や醤油などは自家製で、まさに手前味噌だった。屋敷内で野菜を作って自家用とすることも普通である。

 普段の食事も質素であり、朝食のおかずは味噌汁と香の物。お昼は野菜などを醤油で炒めた煮染物。夜は魚に野菜が付くだけだった(山本政恒『幕末下級武士の記録』)。

 下級武士の懐事情の厳しさを物語る食生活だが、それゆえ内職に勤しむのはごく普通の光景であった。傘張りなどは定番だが、幕府から与えられた土地を共同して活用する手法も広くみられた。

 御家人は所属する組単位で、おのおのが住む土地を与えられた。これは組屋敷と呼ばれ、おおむね数千坪単位で下賜された。これを組の人数で分けたが、この広大な土地が共同利用されたのである。

 東京の初夏の風物詩として台東区入谷の朝顔市は、将軍の警護役を勤めた御徒が内職として栽培した朝顔を市場に出したことがはじまりだった。組屋敷を朝顔の栽培地として共同利用することで、大量に出荷して安価に販売することが可能となったのである。

 新宿区大久保周辺に集住していた鉄砲百人組同心が組屋敷で共同して栽培したツツジは、江戸のガーデニングブームのなかで名産品にまでなる。江戸の観光名所を挿し絵入りで紹介した「江戸名所図会」でも紹介されたほどだった。

 組屋敷では朝顔やツツジの栽培のほか、鈴虫やこおろぎ、金魚などの飼育も盛んであった。養殖には巨大な池が必要だが、組単位で土地を活用すれば難しいことではない。ここまでのレベルになると、内職というよりサイドビジネスと言った方が正確だろう。

 こうしたサイドビジネスは御家人の生活を支えるとともに、江戸の庭園・ペット文化も支えていたのである。

※週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』から

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