週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』から(イラスト/さとうただし)
週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』から(イラスト/さとうただし)
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 武士全体の9割以上を占めていたという四十九石以下の下級武士たち。限られた収入の中、分相応の生活を営み、愉しんでいたという。週刊朝日ムック『歴史道【別冊SPECIAL】そうだったのか!江戸時代の暮らし』では、江戸三百藩の暮らしと仕事を解説。ここでは下級武士たちの懐事情をさぐる。

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 武士は給与の点からみれば、俸禄を所領つまり知行地で与えられた知行取と、現物(切米・蔵米と称される)で支給された切(蔵)米取に分けられる。知行取の場合は約40%の年貢率を所領に掛けて年貢米を徴収するとともに、領民である農民を労働力として使えるメリットもあった。

 しかし、上級幕臣である旗本でも知行取は4割ほどに過ぎない。残りは俸禄を現物で支給される切米取である。下級幕臣の御家人に至っては大半が切米取だった。現米取も名称のとおり、現物の米で俸禄が支給された御家人だ。「八丁堀の旦那」の異称でも知られる江戸町奉行所の同心は御家人だが、その俸禄は三十俵二人扶持である。切米三十俵のほか、扶養手当にあたる扶持米が別に二人扶持支給された。

 幕府の場合、切米一俵は三斗五升入りで三十俵なら十石五斗。この俸禄米を年三回に分けて支給された。二月と五月に4分の1ずつ、十月に2分の1という割合である。扶持米は一日分が米五合とされ、1年360日分として年に一石八斗(一人扶持)となる計算だった。これを分割して、毎月月末に支給されることになっていた。

 切米や扶持米が支給される日、幕臣たちは幕府の年貢米が収納された隅田川沿いの浅草御蔵まで受け取りに出かけた。ただし、実際のところは札差と呼ばれる商人に切米や扶持米の受け取りや換金業務を代行させ、現金だけを受け取っている。

 扶持米は換金せず、そのまま飯米に回すことも多かったが、切米も扶持米も玄米で支給されたため、このままでは食べられなかった。そこで搗米屋に依頼して精米したが、御家人のなかには屋敷内に踏み臼を設置し、自分で白米についた者もいた。精米代を節約できるメリットがあったが、生活環境の厳しさが窺えるエピソードに他ならない。

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