上田死刑囚側が裁判で主張する不合理・不明瞭な点について聞いても、話す素振りを見せながら、
「やっぱりいえん」
と口をつぐんだ。
それでも、次第にさまざまな話をするようになっていった。
「鳥取地裁で裁判長から『極刑をもって臨むほかない』と言われた時は、飛び掛かろうと思った。判決の言い渡しが終わり、裁判長らに一礼したのは、そうしないと本当にやってしまいそうで、落ち着かせるためだった」
「確かに多くの男性と交際して、女を武器にしてきた。私にはそれで、お金にしていく こと、生活していくしかなかった。子どもの時から、ずっとつらいことばかり。男性に尽くしている時は幸せを感じた」
そして、
「今は閉ざされた(刑務所の)中。どうしてこんな人生なんだろう……」
「死刑、本当になったら耐えられない、怖い」
と天を仰いだ。
2014年に控訴審での訴えが棄却されたころだった。上田死刑囚からまた手紙が届いた。手記を書いたので出版したい、という内容だった。松江刑務所で面会すると、
「手記を読めば誰が犯人かはっきりする。判決がおかしいこともわかる。書きすぎと思うくらい書いた。ポルノ小説ではないがそう感じるくらい男女の仲についても記憶の限り書いた。原稿用紙で300枚か400枚はあるはずだ」
といい、出版社を紹介してほしいと言った。私は、
「まず原稿を確認したい。こちらに送るか、弁護士を通じて渡してほしい」
とその場を収めた。これまでの取材や法廷で傍聴した内容から、上田死刑囚の言葉を真に受けることはできないと思ったからだ。
<原稿などは郵パックで送ります。その予定です。写真も同封します>
そんな手紙が何度も送られてきた。しかし、原稿は一向に届かなかった。
2017年7月、最高裁が上告を棄却した。判決に訂正申立てをしたが、それも8月に棄却され、死刑が確定した。
8月31日、赤い文字で<至急 要開封>と書かれた茶封筒が速達で送られてきた。差出人は上田死刑囚だった。