母親はサクラさんをずっと束縛し、「毎日のように」過量服薬して「何回も」救急車を呼ぶ。家のなかという空間では、この恒常性と反復が支配的なリズムとなっている。
この引用はサクラさんへのインタビューにおける典型的な語り方となっている。サクラさんの語りは三重の層から成る。(1)サクラさんから私(村上)に向けて過去を回顧する説明、(2)救急隊とサクラさんの会話をリアルに再現する実況、(3)当時のサクラさんの心のなかの声の再現・類推、だ。この3つの層が入れ代わり立ち代わり断りなしに交替するがゆえに、複雑なナラティブとなっている。
この箇所でようやく、「私は心から『死ねばいい』と思っていたんで、『死ぬんやったら、死んでくれ』と。『私を解放してほしい』とずっと思っていたんですよ。『こんなにしんどいんやったら』って」とはっきりサクラさんの苦しさが語られる。「どこにもぶつけられないSOS」は母親のものであるとともに、当事者サクラさん自身のものでもあったのだ。心配のなかで徹夜で母親を見守ることと、「死ねばいい」という思いが併存するのだ。ヤングケアラーの「見守り」とは、このような切迫したケアである。
先ほどまでは「~たんやと思う」という推量だったのが、このあたりから断定的な想起に変化する。しかし当時は外に出すことができなかった自分自身の苦しみについてのSOSでもあり、今から振り返ったときに登場する当時の思いである(一般に、ヤングケアラーは困難の渦中においてはSOSを出せない)。母親は言葉にできないままサクラさんに八つ当たりし、並行してサクラさんも言葉にできないまま抱え込む。外に向けて語ることができるようになるのは、もう少しあとのことである。この場面では社会との接点ができ始めたことでSOSへの萌芽が見られる。
ところでSOSを出せないことは、むしろ周囲の問題である。次の引用でサクラさんは母親の彼氏や友だちの母親にSOSを求めても放置される経験を語った。