何かが「生み出されていくこと」が好きだという。厨房でのバイトも映画も演劇も、みな地続きだ(写真=品田裕美)
何かが「生み出されていくこと」が好きだという。厨房でのバイトも映画も演劇も、みな地続きだ(写真=品田裕美)
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 俳優、岸井ゆきの。あの日の山手線で、運命の扉が開いた。17歳でこの世界に飛び込み、何年も“大勢のうちのひとり”を演じてきた。オーディションに落ち続けても、演じることを手放さなかった。そして2022年だけで映画5本、ドラマ4本に出演。かわいくて、ちょっと不機嫌そうで、どこにでもいそうで、ときに痛々しいほどにリアル。そんな佇まいがいま、時代に求められている。

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「私が追い求めてきた“映画”というものに、少しだけ近づけたような気がしました」

 11月某日、都内で行われた映画「ケイコ 目を澄ませて」の完成披露試写会。主演の岸井(きしい)ゆきの(30)が、監督の三宅唱(38)と共演の三浦友和(70)と壇上に立ち、大きな瞳をキラキラさせながら観客に語りかけている。

 聴覚障害のある元プロボクサー、小笠原恵子をモデルにした作品。岸井は3カ月間、ボクシングのトレーニングを積み、全感覚を研ぎ澄ませてケイコになりきった。その演技はいま、ベルリン国際映画祭ほか、世界中で絶賛されている。

 感情を表に出すのが苦手なケイコ。ボクシングを続けるかどうか、人生に迷うケイコ。対戦相手に打ち込まれ、悔しさを剥き出しにしてリング上で「ウウゥ!」と獣のように唸(うな)るケイコ。

 鮮やかなピンクのロングドレスに身を包み、目の前にいる岸井は、もうケイコではない。スクリーンのなかにいた、傷だらけのケイコはもういない。花がほころぶような笑顔を見つめながら、どこか安堵(あんど)と不思議な寂しさに包まれた。

 奈良美智の描く女の子に似ているなあ。それが岸井の第一印象だった。かわいいけれど、ちょっと不機嫌そうで、あどけないのに、世の中のすべてを知っていそうな。2014年の「東京ガス」のコマーシャルを憶えている。岸井が演じたのは就活中の大学生。リアルで胸に迫ったが「見ていてつらい」との声が殺到し、3週間で放送中止という前代未聞の展開になった。伝説のCMとしていまもYouTubeで再生され続けている。

 そして19年、今泉力哉(41)が監督の映画「愛がなんだ」で、その存在が強烈に刻まれた。絶対に自分を好きになってくれないマモちゃんを追い続けるヒロイン・テルコ。お前じゃないんだよ、とわかっている。でも止められない。痛々しくファニーで切ない笑顔に、胸をえぐられた。

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