新総裁候補、植田和男さんの同学年(1970年卒)も負けてはいない。

 東京大名誉教授の吉川洋さんは、2000年代前半、内閣府経済財政諮問会議議員として、当時の小泉純一郎内閣のブレーンと言われた。東京大を退職後は立正大の学長をつとめた。石井洋二郎さんは東京大学副学長をつとめ、現在、中部大学特任教授である。フランスの社会学者ピエール・ブルデューを広く伝えたことで知られている。

 森口泰孝さんは科学技術庁に入庁後、省庁再編で文部科学事務官となり、同事務次官となった。橘川武郎さんは東京大教授、一橋大教授を歴任し、エネルギー問題の第一人者となった。内田和成さんは東京大工学部を卒業後、日本航空に勤務。その後、ボストン・コンサルティング・グループ日本代表をつとめ、昨年まで早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)で教えていた。

 アカデミズム、官界財界で活躍する同級生が多いなか、もっとも異色な存在が、ドバイ在住のビジネスマン、大谷行雄さんである。彼はいま現地王族の協力のもと、企業や投資誘致、会社設立、移住のアシストをしつつ両国の友好関係樹立に向けて奔走する。大谷さんは在学中、学生運動の高校生リーダーとして赤軍派に関わり、1969年、教駒でバリケード封鎖をしたときの首謀者だった。植田さんのことをたずねると、

「在校時は小生のような悪童とは違い、まじめで温厚でおとなしい生徒というイメージしかありませんが、いつだったか、同窓会でこんな小生にも親しく声をかけてくれたのを覚えています」

 植田さんは心優しい人物のようだ。

 教駒、筑駒では中学、高校の学習指導要領にとらわれない高いレベルの授業を行ってきた。大学受験に特化した教育を行わず、大学院レベルの専門分野を教える教員は少なくなかったという。それは同校が長年培ってきた伝統であり、植田さんはこうした教育環境で育まれてきた。

 最後に、植田さんと同学年、石井洋二郎さんの言葉を紹介しよう。東京大副学長だった石井さんは、国立大学の行く末を案じていた。大学は運営から経営へと転換が進む一方、自立した「学問の府」としての大学の存在感が後退しつつあるように感じたという。そして、こう警鐘を鳴らしていた。

東大は『国立』大学であって、『国策』大学ではありません。そして本学が拠って立つところの『国』とは、あくまでも国民全体のことであるはずです。もし国策に疑問があれば、率直に議論を戦わせ、誤りがあれば毅然としてこれを糺すことが国立大学に託された本来の使命でしょう」(「東京大学 学内広報」1521号 2019年)

 しびれる発言である。

 日本銀行に託された本来の使命をどうかまっとうしてほしい。

<後編:気鋭の学者がズラリ 日銀“新旧”総裁を育んだ「教駒=筑駒」出身の多彩な面々に続く>

(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫

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