九州を拠点にして活躍するピン芸人のゴリけん(撮影/中西正男)
九州を拠点にして活躍するピン芸人のゴリけん(撮影/中西正男)
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 冠番組「ゴリパラ見聞録」(テレビ西日本)のイベントが全国ツアーになるなど、九州を拠点にして活躍するピン芸人のゴリけんさん(49)。同番組は「ぽかぽか」(フジテレビ系)でも放送され、番組の公式YouTubeチャンネル登録者数は10万人を突破するなど、ローカル番組としては異例の流れも生まれています。九州地方で6本ものレギュラーを持ち、“ローカル番長”の異名をとるゴリけんさん。“地方”という概念が激変する中、先駆者として走り続けたゴリけんさんに、ここまで成功できた秘訣を聞きました。

【くりぃむ上田に「天才」と言われながら25年間パッとしなかったピン芸人はこの人】

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 17年前、ワタナベエンターテインメントが九州支部を立ち上げることになりまして、そこに本出身である僕が行くことになったんです。

 ま、当時は、正直なところ“都落ち”という空気もありました。自分の中で忸怩たる思いがあったのも間違いなかったです。

 そもそも、最初は九州から大阪に出て吉本興業で芸人を始めまして、そこから東京に行ってワタナベに所属しました。少しずつ東京での仕事が増えていき、目標であった田園調布に住むという現実に近づいてきたのかと思っていたら、完全に振りだしに戻ることになった。「桃鉄」の“ぶっとびカード”って本当にあるんだなと思いました(笑)。

 そこから僕だけでは弱いとなって後輩コンビ「パラシュート部隊」がやってくることになったんですけど、マネジャーさんもいないし、本当にゼロからのスタートでした。

 状況的には大変だし、やっぱり「かわいそう」「気の毒」みたいな空気を感じることもある。だからこそ、3人で言ってたんです。「いつか、こっちに来たことをうらやましいと思わせよう」と。

 そのためには、とにかくなんでもやらないといけない。そう思って、自分たちで名刺を作って裏に「なんでもやります」と書いて配りまくりました。そして、最初に来た仕事は“運動会の代走”でした。ただ「なんでもやります」と書いたのは自分たちですし、しっかりと走らせてもらいました。あと、引っ越しの手伝いとかも多かったですね。芸人の仕事とは程遠いものが多かったですけど、いただいたお仕事はとにかく一生懸命やりました。

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どうしようもないときこそ、前に出る