他球団で活躍できなかった選手の実力を開花させる「野村再生工場」も野村さんを語るキーワードの一つ。在籍1年の東映から未勝利で移籍してきた江本孟紀さん(72)とバッテリーを組み、球界を代表する名投手に育てたのに始まり、江夏豊、小早川毅彦、山崎武司ら錚々たる選手たちを「再生」させた。

 こうした「野村野球」について、江本さんはこう語る。

「打って守って走るだけじゃなくてモノを考えて野球せえというのが原点でしたから、我々が現役当時からデータの蓄積や分析も凄かった。しかし、野村さんが監督専任になってあれだけ成果を上げたのは、選手時代の業績をひけらかすことなく『別業種』としてきちんと分けて取り組んだからだと思います」

 野村さんの「考える野球」の原点は、選手兼任監督時代にヘッドコーチとして支えた元大リーガーのドン・ブレイザーにあり、同時代に阪急監督だった上田利治さんはダリル・スペンサーの「スパイ野球」に接して野球眼を鍛え、一時代を築いた。本場の野球の厳しさを肌で知る広岡、野村、上田各氏らが日本のプロ野球のレベルを引き上げた。あのボヤキが聞けなくなるのは寂しいが、野村克也という巨星は、野球強国の礎として永遠に残る。

【野村語録】
「落ちて踏みつぶされたって、たいしたことないわい」
1993年11月1日、ヤクルト監督として日本一に輝き、ダイヤ付きのメガネをつけたまま胴上げされ、喜びを表現

「監督は『歩』を『金』にして初めて評価される」
野村さんが考える監督の手腕。選手の育成について将棋で例えた(著書『負けに不思議の負けなし』から)

「神様が寝込んでるんじゃないの」
99年1月、阪神監督として兵庫県内の神社で必勝祈願。13年間優勝がないことに、ぽつり

「アンパイアは夫の上司のようなもの」
ピッチャーの女房役であるキャッチャーにとっての審判の存在。現役時代は審判に愛嬌を振りまいていたという(著書『野球は頭でするもんだ!』から)

「人間の名誉というのは、すぐ忘れられるもんです」
楽天の監督に就任した際のインタビューで、つねに現場で活動しなければならない意気込みをこう伝えた(AERA2006年1月23日号から)

(編集部・大平誠)

AERA 2020年2月24日号

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