そんな彼らをバックアップしていたのが地元放送局の近畿放送だった。今回リリースされるCDの音源も、当時番組を制作していた川村輝夫氏が保管していたテープから復刻が実現したものだ。川村氏は、同じ京都を拠点としていたザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」を番組で積極的にかけたディレクターとしても知られる。北朝鮮の曲である「イムジン河」が政治的配慮から発売中止となり、オンエアも自粛されていたなか、京都の豊かな音楽文化の一つである彼らを応援し続けたのだ。故・加藤和彦、故・はしだのりひこ、北山修らによるザ・フォーク・クルセダーズもまた、世界の民謡や音楽をポップスとして翻訳しようとしていた若者たちだった。
「高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン」のメンバーも、70年代には近畿放送で深夜番組のパーソナリティーを務めていた。アーティストとメディアとがしっかりとタッグを組むことで、音楽を育む。「暮らしの中にある歌」を大事にする両者の思いが、当時の京都では深く交わっていた。
筆者は全盛時代の「高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン」の活躍を当時、京都で目の当たりにしている。公開収録や大学の学園祭でのライヴには多く足を運んだし、彼らのラジオ番組も欠かさずエアチェックしていた。アール・スクラッグス&レスター・フラット、セルダム・シーンといったアメリカのブルーグラス系アーティストのことを知ったのも、彼らのラジオ番組だった。何より小学生や中学生の子どもにも、彼らの音楽と、さまざまな民衆の歌を伝えようとする姿勢は親しみやすいものだった。
最盛期のメンバー2人が他界してしまったが、近年は高石、城田らで当時の楽曲を聴かせるコンサートを時折、開催している。今の京都に彼らはもう、存在していない。だが、このアーカイヴ・ライヴ・アルバムは、確かにあの頃彼らがこの町で我々民衆のための歌を歌っていたことを伝えている。(文/岡村詩野)
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