61歳で公立小学校の校長を定年退職した福田晴一さんが「新入社員」として入社したのはIT業界だった! 転職のキーワードは「プログラミング教育」。全国を教員研修で回っているうちに63歳となった。今回はプログラミングの研修を受けたことで、教員としてのその後の生活が大きく変容した二人の先生を追ってみたい。
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2月も中旬となり、各小学校は卒業に向けての諸々の行事等で教員の研修会も少なくなる。私の出張も、月末の奈良県の実践報告会が今年度の最後かと思う。
弊社(みんなのコード)は、3年前から全国の小学校の先生方を対象に、プログラミングの研修会(養成塾)を開催してきた。その延べ人数は1500人となり、目標としていた「プログラミング教育の全面実施の2020年度末までに2000人の養成塾生を」が実現視されてきた。全国には、大小の違いがあるが約1800の自治体があるので、概ね各自治体に一人は、プログラミング教育を推進できる先生が存在することになる。
中には、プログラミング研修との出会いで教員としての取り組み、生活が大きく変わり、その様子をSNS等で発信している先生もいる。今回は、その中のお二人の先生をご紹介したい。
■林孝茂先生「こんな学びがあるのかと衝撃を受けた」
一人目は、兵庫県の尼崎市の林孝茂先生だ。私も関西に出張すると、彼と一献する機会が多い。先日も二人で3年前の研修会の話題に触れ酒を交わしていると、「僕は、あの時から人生が激変した、と言うと大袈裟ですが、大きく変わりました。」と回顧がはじまった。以下は林先生の言葉だ。
「自分が、大阪市の教員から兵庫県尼崎市の教員に移ったのは数年前。川一つ挟んだだけの隣接の大阪府とは、教育面でも様々な点で差異がある中、教員としての10年目の節目を迎えたときでした。それまで、音楽・体育を担当していましたが専門というほどではなく、尼崎に移り情報担当となっても、専門性高く特化しているわけでもありませんでした。しかし、学校現場では、教員生活も10年を越せば、中堅教員として期待されることも多く、少し悩んでいた時期に、プログラミング教育必修化という活字を目にしました。そこで、何気なく調べてみると、みんなのコードの養成塾(東京開催)を見つけ、流れから参加申し込みをしました」