政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
* * *
経済協力開発機構(OECD)が実施している学習到達度調査(PISA)では、3年ごとに世界の15歳の読解力、数学的応用力、科学的応用力の3分野の力を調べています。発表されたのは2018年の調査結果ですが、日本は科学的応用力(5位)と数学的応用力(6位)に比べると、バランスを欠くほど読解力(15位)の順位が低いことが話題になりました。読解力については前回が8位だったことから、さらに順位を下げたことになります。
今回のPISAで興味深いのは、上位を見る限り、フィンランドなどの欧米の教育先進国が順位を落としている点です。一方、ランクを上げたのがアジアの国や地域です。例えば中国は3分野全てトップですが、中国の言論の自由や教育における自由度については首をかしげる人も多いでしょう。果たして、言論や表現の自由をないがしろにしても、人間の読解力は向上するものなのでしょうか。
日本もそうかもしれませんが、中国やシンガポールなどはエリート校の在校生が多く抽出された可能性があります。そのあたりを加味しないと、ますます中国型の教育モデルにこそ汎用性があるとなりかねません。
そう考えると、PISAの結果を、あくまでも一つの参考資料と受け止めることはもちろん必要ですが、その結果を教育の問題点や子どもたちの学力の低下にストレートに結びつけ、学習指導の新たな改革に繋げてしまうことは、短兵急の誹りを免れないのではないでしょうか。
いま一度、日本の抱える問題点を深く考えてみる必要があります。すぐに思いつくのは、読解力の豊かさは「価値の多様化」が支えているということです。そのためにも、自分なりの価値判断を養う必要があり、それは異なった価値を持つ人々との対話や討議によって培われていくはずです。そうした多事争論の場が開かれていることによって、多様な価値の中の自分なりの価値判断が可能になるのではないでしょうか。
日本の教育現場でこのような好循環が滞っている限り、読解力を養う土壌は痩せていくだけです。PISAの結果を、そうした事態への一つの警鐘として受け止めるべきかもしれません。
※AERA 2019年12月23日号