高校時代に“和製ランディ”の異名をとりながら、プロでは通算1勝で終わったのが、ロッテの190センチ左腕・木村優太(本名・雄太)だ。

 秋田経法大付時代は甲子園に出場していないが、素質豊かな最速144キロ左腕に12球団がこぞって注目した。

 2003年春、筆者は取材で会った広島のスカウトから「今年のウチの1位は木村で決まり」と聞かされた。同郷の秋田出身のスカウトが密着しているという。

 だが、同年のドラフトでは、木村はどの球団からも指名されず、東京ガスに入社したので、「広島の話は?」と首を捻ったことを覚えている。

 その後、07年春に西武裏金問題が発覚し、木村が高校時代から「栄養費」を貰っていたことが明らかになった。1年間の謹慎処分を受けた木村は、解禁後の08年の都市対抗で活躍し、ロッテに1位指名で入団する。

 2年間2軍暮らしのあと、西本聖コーチとフォーム改造に取り組み、11年8月24日に1軍初昇格。同日のソフトバンク戦に7回からリリーフで初登板をはたすと、1イニングを1安打無失点に抑え、内川聖一、カブレラから三振を奪った。

 だが、初勝利までの道のりはさらに遠かった。15年4月8日のオリックス戦、先発・木村は初回を除いて毎回走者を出しながらも、5回を1失点と踏ん張る。そして、0対1の5回に今江敏晃の逆転2点タイムリーが飛び出し、7年目の初勝利を手にした。

「長かった。やっと勝てたなという気持ち。アマチュア時代から気にかけてくれている人も多いので、勝てて良かった」と笑顔を見せた29歳の遅咲き左腕だったが、4月15日の日本ハム戦では、大谷翔平に2点タイムリー二塁打を浴びるなど、4回途中5失点KO。その後は結果を出せないまま、翌16年シーズン後に戦力外通告を受けた。

 1軍デビュー直後にあっと驚く快投を演じながら、エースになることができなかったのが、楽天の191センチ左腕・片山博視だ。

 報徳学園時代に2度甲子園に出場。打者としても高校通算36本塁打を記録した片山は、投打いずれもドラフト上位候補と注目され、05年の高校生ドラフトで楽天から1巡目指名を受けた。

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