
身長190センチ前後の大型左腕といえば、現役では、188センチの山崎福也(オリックス)、191センチの上原健太(日本ハム)、日本人左腕歴代最長身、193センチの弓削隼人(楽天)が該当する。彼らはアマチュア時代から“和製ランディ・ジョンソン”の異名で呼ばれることが多いが、過去には「将来のエース」と期待されながら、不発に終わった者も少なくない。
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新人王候補と期待されながら、プロで伸び悩んだのが、2004年に自由枠で横浜に入団した192センチ左腕・那須野巧だ。
日大時代は4年の春に優勝投手になるなど、通算22勝を記録。最速149キロの速球は「ホームベースの1メートル手前から伸びる」といわれた。
1年目は5月15日の日本ハム戦でプロ初先発初登板デビューも、初回に小笠原道大と新庄剛志にタイムリーを浴びるなど、6回4失点と力みから制球を乱し、「さすがに緊張した。1軍は甘くないなあと」とプロの厳しさを味わった。
その後、5月22日の西武戦で5回4失点ながら、うれしいプロ初勝利を挙げたものの、同29日のロッテ戦は里崎智也に満塁弾を浴び、1回4失点KOで中継ぎに降格。1年目は1勝2敗、2年目も3勝8敗と不本意な成績に終わった。
さらに翌07年は、開幕直後の4月11日に入団時の契約金が最高標準額(1億円プラス出来高5000万円)を大幅に超える5億3000万円だったことも明るみになる。
そんな騒動のなか、「グラウンド上で精一杯のプレーをして結果を出す」と誓った那須野は、4月24日の巨人戦で、夫人の出産に立ち会うため、一時帰国した守護神・クルーンの代役として8、9回を抑え、プロ初セーブを挙げた。
だが、同26日の巨人戦では、1点リードの8回から三浦大輔をリリーフした直後、4連続長短打を浴び、三浦の2年ぶりのG戦白星を消してしまう。
先発に戻った08年も5勝12敗、防御率6.47と安定感を欠き、翌年以降は1勝もできないまま、「最後まで熱いものがなかった」と、11年のロッテを最後にユニホームを脱いだ。