メディアに現れる生物科学用語を生物学者の福岡伸一が毎回一つ取り上げ、その意味や背景を解説していきます。
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今年のノーベル物理学賞は、米プリンストン大のジェームズ・ピーブルス名誉教授(84)と、太陽系の外の惑星を初めて発見したスイス・ジュネーブ大のミシェル・マイヨール名誉教授(77)、ディディエ・ケロー教授(53)の3氏に授与されることが決まった。
ノーベル賞にはときどき、「セット」というか「抱き合わせ」みたいな選考結果があるのだが、今回もその一つ。ピーブルズは宇宙創生ビッグバンの理論的研究、マイヨールとケローは系外惑星の発見、この二つの研究テーマは宇宙という大項目での共通性はあるものの直接のつながりはない。ノーベル賞での賞金の分け方(氏名の発表とともに、選考委員会側から明示される)を見ると、受賞者の寄与率がわかる。賞金は900万クローナ(約1億円)。このうち半分をピーブルズに、残り半分をマイヨールとケローが等分する(つまり4分の1ずつ)。三者が均等な寄与をした場合は3等分である(今年の医学生理学賞、化学賞はそうだった)。
注目したいのは、マイヨールとケローである。
前回のコラムで、ポスドク(博士研究員)はどんなに研究に貢献しても、その研究にノーベル賞が与えられるときはボスだけが栄誉に輝き、ポスドクはその対象になることはないと書いた。まさに「一将功成りて万骨枯る」のことわざどおり。
だが、今回ばかりはその通則が覆った。
ケローはマイヨールの弟子である。しかも、受賞対象となった研究が行われたのは、まだケローがマイヨール研究室の博士課程の学生だったときのこと。つまり、ポスドク以前の出来事だった。研究に参画した学生にまで、ノーベル賞のクレジットが与えられたのははじめてではないか。実に画期的なことである。若手研究者の励みにもなる。
でも、いったいどうしてこんなことが実現したのだろうか。それはおそらく、ボスのマイヨールが偉かった、つまり公平だったからだと思う。