福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授 (c)朝日新聞社
福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授 (c)朝日新聞社
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 メディアに現れる生物科学用語を生物学者の福岡伸一が毎回ひとつ取り上げ、その意味や背景を解説していきます。

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 前回に引き続き、2019年のノーベル賞選考発表について考えてみたい。

「ポスドク」はノーベル賞をもらえない。これはノーベル賞の不文律のようなもの。ポスドクとは、ポストドクトラル・フェロー(博士研究員)の略。理系の研究者は一人前になるのに長い時間がかかる。学部4年、大学院5年、そのあと博士論文を提出してようやく博士号を取るのだが、これは理系学徒にとってゴールでも成果でもない。もう年齢は20代後半となるがまだまだ食えない。

 博士号は、単なる運転免許証みたいなもの。これでようやく路上に出られる(研究者として出発できる)のだが、まだ運転はふらふら。そこでさらなる研究修行の場としてポスドクがある。最近では日本国内でもポスドク制度が拡充されているが(そこには有期雇用としての不安定さとそれ以降のポスト難の問題が多々内包されているが、今回は置いておく)、私が研究者の卵だった1980年代末には海外に出るしかポスドクの道はなかった。

 たくさんの応募の手紙を書いて(まだ電子メールなどなかった)、たまたまニューヨークのロックフェラー大学の細胞生物学研究室に拾ってもらって喜び勇んで渡米したが、言うならば、知らずにブラック企業に入ってしまったようなもの。日夜実験に次ぐ実験、ボロ雑巾のようにこき使われ、しかも低賃金である(当時のポスドクの年収は平均2万ドル程度。ニューヨークで生活すると安アパートでも家賃でほとんどが消えてしまうような状況だった)。

 言葉の壁、文化の壁もあり、とにかくデータを出し、身体で自分の存在意義を示すしかなかった。今から思えば、自分の好きな研究だけを一心に行うことができた人生最良の時間ともいえるのだが、当時はそんな余裕はまったくなかった。ポスドクの役割はボス(給料をくれる人)の研究テーマを実行に移し、そのアイデアを実現すること。つまり実験データとして仮説なり、予想なりを実証すること。そこには独自の工夫や実験のスキルや注意深い観察や思考が必要であり、ポスドクはそれまで10年近くの経験を蓄積しているので腕の見せどころである。ボスの側からすれば優秀なポスドクを採用することが研究推進の鍵となる。

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ノーベル賞の冷徹な現実