とはいえ、大きな選手が苦手なわけではない。無差別級で競われる全日本選手権17年度大会決勝で、宮原は68キロ超級世界女王の植草歩(27)と大接戦を演じた。168センチの日本組手界エースに惜しくも敗れたものの「その日はけがもしていて不調だったのに決勝までいってしまった」(香川)というのだから、実力がうかがえる。
次こそはと挑んだ18年は、故障のためあえなく棄権した。
「痛み止めの注射を打っても出るつもりだったんですが、香川師範に止められました。調子は悪くなかったので(タイトルを)取れそうなときに挑戦したかった」と悔しがる。
対決は五輪前年の今年に持ち越されましたね──そんな話を向けたとき、無邪気な笑顔がピシッと引き締まった。
「うーん。なんていうか、東京五輪に出られればそれはうれしいですが、そのために空手をやると、そこで結果を出さなきゃって追い込まれますよね。もっと空手を楽しみたい。世界一は目指していますが、世界選手権も、ほかの大会も、私のなかでは同じ(価値)なんです」
言葉を選ぶように語ってくれた宮原は、空手が五輪の新競技に決定した16年に初めて日の丸をつけ、あっという間に頭角を現した。知り合いの知り合いと名乗る人に声をかけられるなど「遠かった人が急に近くなり困惑する」(宮原)と、以前の環境とのギャップを感じている。
一方、空手に励むため地元福岡から東京の高校に進学させてくれた両親は静かに見守ってくれる。「出られたらいいね、くらいしか言わない」(同)ので、精神的に助かっているそうだ。
東京五輪は新競技にとって千載一遇の周知、普及のチャンスでもある。重圧は想像に難くない。そんなストレスの解消法はお出かけ。近くの立川か「たまに都心」(同)で、友達と大好きなタピオカドリンクを飲む。
「ノースリーブの服が好きなんだけど、(上腕)二頭筋がすごく発達してて。鏡の前に立つたびに、ああ、いやだ!って思う」
なりたい自分、やりたい空手。ギャップに揺れる22歳に、神様、素敵なご褒美をと願わずにいられない。(ライター・島沢優子)
※AERA 2019年8月5日号より抜粋