例えば、ほかの選手がある時間以内で完登したあと自分ができないと、焦ることがあった。
「できなかったことは変えられない。そこでネガティブなことを受け入れる。やることは一緒だと引きずらなくなった」
つまりは一喜一憂しないこと。トップ選手に技術の差はない。あるのはメンタルの差なのだ。
自分自身と向き合う重要性を教えてくれたのは、ライバルたちの存在だ。それまでは、負けても調整が悪かっただけだと、ダメな自分を受容できなかった。
「自分は弱いから負けるのだとようやくわかった。弱いと認めるのはつらいけど、それだと次に進めないと思った」
体とこころを整えた楢崎はさらに進化を遂げそうだ。
180センチ前後が多い外国人選手と比べると、169センチと上背のない楢崎は不利に見える。が、腕を広げた上肢長は180センチ超。これに類いまれな運動神経と「創造性」が加わる。
五輪の実施種目は、高さ15メートルの壁を2人の選手が同時に登り速さを競う「スピード」、壁を制限時間内にどこまで登れるかを競う「リード」、そして、楢崎が得意とする「ボルダリング」。
彼の持つクリエーティブな感覚が生かせるボルダリング、実は選手は登る直前まで課題を見ることはできない。それまで練習したホールドの位置やパターンが出るとは限らない。
開始前、登る課題をオブザベーション(観察)するとき、楢崎はセッター(課題製作者)が試登した痕跡をつぶさに観察する。手に付ける白いチョークの跡や黒ずんだ靴の跡から、親指をどこについたか、どう足を運んだかなど、さまざまな情報を一気に頭にねじ込むのだ。
「どう登ったかを想像して、じゃあ自分はどう行くか。セッターはこうやって行くといいよ、という設定で作ったとわかるのですが、僕はセッターを裏切る登りをしたいんです」
自分のなかに勝利の具体像を持つ選手は強いと言われる。勝たなくてはいけないといったメンタルよりも、周囲の環境に振り回されずに済むからだ。