なおこの改正案は、北京が指示したというより、林鄭月娥(キャリー・ラム)香港特別行政長官の勇み足だという説が出ている。私もそれに説得力を感じる。もし北京が主導するなら、真っ先に天安門事件にまつわる事柄に手をつけるだろうからだ。追悼集会に参加して得た実感は、北京はまだまだ香港に相当な気を使っている、であった。
先入観を抜きにして、冷静に想像してみてほしい。天安門事件の追悼集会や詳細な展覧会が緊張感を孕みながらも行える土地が、あからさまな弾圧の真っ最中といえるだろうか。一国両制の終了まであと27年ある。中美貿易戦争という難題を抱えた中国が、いま焦って危険な火の粉をかぶる必要はそもそもないのだ。
香港人は忍耐強く、独立心の強い人たちである。歴史を遡れば、共産党による支配を嫌って中国を棄てた人、国共内戦で台湾に渡れずじまいになった人、文革の混乱から逃れた人の末裔が多く、国家や政府に対する忠誠心が薄い。逃れてきた理由が人それぞれ異なるため、何人かが集まって政治談議を始めれば、乱闘になることもある。そのため、複数の人間が集まる際には、政治について語らないのが香港流のたしなみだった。
宗主国イギリスはそんな香港人の政治アレルギーを巧みに利用し、選挙権は与えない、しかしその他の自由はおおむね与える、という統治方法を採った。要は、金という餌さえやっておけばいい、というスタンスだ。
最近、中国に対する反発を強めるあまり、「昔はよかった」と英領時代を懐かしむ人が香港に少なくないが、イギリスも民主主義を与えなかった点は、忘れないでほしいものである。
もし選挙で人を選ぶ権利がなかったら、と想像してみてほしい。政治にまつわる自由がない場合、自分をより守ってくれるもの、そして手放したくないものは何だろう?
法律──。すべての正義が実現されるわけではないが、建前上は万人に平等に与えられる。
お金──。万能ではないが、ある程度の権利は買うことができる。香港人がお金に執着が強いと言われるのはそれが理由だ。
言論や表現の自由──。統治者や自分たちの権益を代弁する人間を選べない分、思うがまま悪口を言ったり風刺を書いたり、表現したい。この点は日本に暮らす私から見たら、日本よりむしろ自由に映ったほどだった。