
将来やりたいことがある人や夢がある人のほうが、それらがない人より素晴らしい。そう思っている人は多いのではないか。世の中に流布されている考え方だが、「探究型学習」の第一人者である矢萩邦彦さんは、著書『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)の中で、「自分の未来が想像できなくても焦らなくていい」と語っている。なぜ、そんなことが言えるのだろうか。
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自分の5年後、10年後、20年後はどうなっているでしょうか?
想像してみてください。20年後をリアルに想像できた人はあまりいなかったのではないかと思います。想像しやすさは、自分との近さで決まります。能力的にも時間的にも近いほど、想像はリアルになっていきます。
もし、あなたに自分で選択した具体的な夢や目標があるのなら、それは素晴らしいことです。それに向かって努力することで、少しずつ将来の想像がリアルになっていくのなら、実現に近づいているはずです。
一方で、もし、あなたが未来の自分を想像できなくて焦っているとしても、どうぞ安心してください。未来が想像できないということは、あらゆる可能性があるということでもあるのです。
ふつう、年齢を重ねるごとに将来は予測しやすくなります。赤ちゃんはもちろん無限の可能性がありますが、学生より社会人、若者よりも高齢者のほうが未来を想像しやすいのはなぜでしょうか?年齢を重ねるということは、自分とのつき合いが長くなるということです。モヤモヤしたりグルグルしたり試行錯誤したりしながら、すこしずつ自分の価値観や興味関心など自分軸の輪郭や性質や能力の可能性が分かってきます。自分というものが正確に把握できるほど、未来は想像しやすくなります。
ただ、それは必ずしもよいことばかりではありません。一つの将来がリアルに想像できてしまうというのは、他の可能性に気づけなくなっているともいえます。ぼくはもうそれなりの年齢ですが、それでも、来年の自分が何をやっているか想像できません。また本を書いているかもしれませんし、会社をつくっているかもしれない、はたまた世界を旅しているかもしれない。日々、あえて自分でも未来を想像できなくなるような選択をするように心がけています。それはぼくにとって、自由を感じながら生きることでもあります。