『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたかについて、独自の視点で分析する。今回は、カメハメハ1世(大王)が建国したハワイ王国の二代目の王であるカメハメハ2世を「診断」する。
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ゴールデンウィーク10連休は、海外に行かれる人も多いだろう。一つだけご注意は感染症。持ち込みも持ち出しもご法度である。
筆者が初めて外国に行ったのは40年前、大学1年夏休みハワイ大学主催の夏期セミナーだった。寮の隣室は後の解剖学教授、向かいの部屋が後の心臓血管外科教授という、今にして思えば後年、勤務先の教授会をリードする方々だった。英語が得意でなかった(現在も苦手な)筆者は、現地学生やハワイ大学の先生方とのコミュニケーションは先輩方に任せてキャンパスや路地裏探索を主たる業としていた。鮮明に覚えているのは、ダウンタウンにある博物館の中庭にあったハワイ王国の初代カメハメハ大王の銅像である。たくましい半裸体に古代スパルタ戦士のような飾り兜を被った大王の写真が家のどこかにあるはずで、色あせる前にデジタル化しなければいけないと思いながらもそのままになっている。
■麻疹の免疫がなかったカメハメハ2世夫妻
さて、カメハメハ大王はハワイ島の酋長から身をおこし、一代でハワイ諸島を統一した英雄だが、西洋諸国との協調を晩年の課題とした。そのために大王の後を継いだ長男のカメハメハ2世(1797-1824)は、友好条約締結のためカママラ王妃とともに英国に渡ることになる。ブラジル経由の6カ月にわたる長旅の後、ロンドンで英国王ジョージ4世に会見、グロスター公や外務大臣カニンガム卿ら貴顕紳士(きけんしんし)の主催する夜会の人気者になったが、そこで麻疹(はしか)に罹患し、二人とも急逝してしまう。
19世紀当時、英国ではすでに何度も麻疹の流行がおきていたが、南太平洋地域には麻疹がなく、免疫のない若き国王夫妻はひとたまりもなかった。親英的なカメハメハ2世の死により、ハワイは英国とは距離を保った政治的独立(のちに米国に併合)の道を歩む。建国当初のハワイ王国の国旗にはオーストラリアやニュージーランド同様、左上にユニオンジャックが翻っており、国王カメハメハ2世に麻疹の免疫があれば今日、ハワイが英連邦の一つとなっていた可能性がある。カメハメハ2世の死後24年経って、欧米諸国との交易が盛んになったハワイ王国(そのときは弟のカメハメハ3世の治世)に麻疹が上陸し、多数の犠牲者が出ている。