話を聞いた生徒たちに共通したのは、歌声で感謝の気持ちを伝えたいという思いだ。

「こんなにも支援してくれる方がいるんだと思って」

 と話したのは、冒頭で紹介した掛川さんだ。

 自宅は高台にあったため、家も家族も無事だった。だが、地震で電気と水道も止まり、夜はロウソクの明かりで過ごさなければならなかった。そんな中、県内だけでなく、日本中から支援の手が届いた。何よりうれしかったのが、鉛筆や定規といった文房具。ノートには、「頑張って」などと書かれたメッセージカードもついていた。海外からもボランティアが駆けつけ、自分たちのために汗を流してくれた。掛川さんは言う。

「そんな人たちに感謝の気持ちを届けたいと思いステージに立ちました」

 両親への感謝の思いを歌に込めたのは、越喜来中3年だった及川正嗣さん(15)だ。

 平地にあった築80年近い家は津波にのみ込まれた。家族は全員無事だったが、ゼロからのスタート。両親と祖母、2人の姉と一緒に近くの公民館に避難した。その後、親戚の家から仮設住宅に移った。震災から2年近くたって新しい家に戻れたが、その間、不便な生活を余儀なくされた。しかし、両親は自分以上に大変だったはず。それなのにいつも明るく、笑顔を絶やさなかった。もし両親が落ち込んだりしていたら、自分も元気をなくしていただろう。音楽祭ではそんな両親に「ありがとう」の気持ちを届けたという。

 4月、及川さんたち3人は高校に進学した。将来、掛川さんは海外のボランティアの人たちと接した経験から通訳を、石川さんは人の役に立ちたいと思い消防士を目指す。及川さんは、将来の夢はまだ決めていないが、いつか越喜来に戻って人のためになる仕事に就きたいと話した。

「地震と津波を経験した者として、その経験を後世に語り継いでいきたいと思います」(及川さん)

 ひまわりのように太陽に向かって頑張る若者たち。今はまだ小さな芽だがいつかきっと、大輪の花となって開くだろう。

AERA 2019年4月15日号

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