<♪そばにいたいよ 君のために出来ることが 僕にあるかな>
大切な人を思う切なさを歌った歌詞に、観客の中には涙ぐむ人もいた。
ステージ終了後、秦さんはこう話した。
「みんなの声は本番が一番出ていて、それプラス、観客の方とホール全体のうねりを感じました」
東日本大震災から8年。地震と津波は家を、思い出を、そして1万8千人を超える命を奪った。今さまざまな形で復興は進んでいるが、音楽にしかできないこともある。歌のチカラについて秦さんはこう語る。
「音楽自体が何かを変えるというより、音楽を聴いた人の何かが変わって、その人が何かを変えるんじゃないかな」
歌は、未来をつくる原動力でもある。ステージに立った3校の中でも越喜来中のある大船渡市は、沿岸部にあったため大津波で壊滅的な被害を受けた。
越喜来中3年だった石川大地さん(15)は、当時小学1年生。放課後の「帰りの会」のとき地震が襲った。すぐ教室の机の下に潜り、その後全員で高台に避難した。
海から200メートルほどの場所にあった小学校は、校舎の3階まで達する津波で流され、近くにあった石川さんの自宅も津波にのみ込まれた。家族は全員無事だったが、500台近い鉄道玩具の「プラレール」が、家とともに流された。誕生日などに買ってもらった宝物だった。
歌は洋楽が好きだ。言葉では伝えられない思いも、音楽にのせることによって伝えることができるからだと話す。
音楽祭で歌った曲の中で一番好きだというのが合唱曲「群青」だ。東日本大震災で被災した福島県南相馬市の小高中学校の生徒らが作詞、同校の音楽教師が作曲した。全国に広がり、今も歌われる。
<♪ああ あの町で生まれて 君と出会い たくさんの思い抱いて 一緒に時間を過ごしたね>
東京電力福島第一原発の事故で離れ離れになった友への思いから始まる。石川さんにも、震災がきっかけで離れ離れになった友だちがいて、この歌を歌うと別れた友だちのことを思い出す。この日は、こんな思いでステージに立った。
「復興を頑張っていこうと、合唱で届けたいと思います」