実際に会ったときのキーンさんは「頭が良くて、考えが明瞭。ユーモアのセンスがあり、ウィットに富んだ会話ができる。とにかく話していて面白い人」だったという。
とりわけ平野さんの心に残るのは、キーンさんによる作家の寸評だ。例えば三島由紀夫についてならば、「大抵の日本人は自分が話している英語が相手に通じないと、だんだん声が小さくなる。けれど三島さんは反対で、話が通じないほど、どんどん声が大きくなる珍しい日本人だった」といった具合だった。
キーンさんはまた、『明治天皇』など評伝も多く手がけた。
「評伝では『石川啄木』が素晴らしかったですね。非常にフェアに書かれていると同時に、人間的に破綻しながらも才能がある、啄木という人間の魅力が多面的に描かれていました。『私と20世紀のクロニクル』は、キーンさん自身の人生とともに、谷崎潤一郎や川端康成など作家たちとの交流もよくわかる本です」
東日本大震災が起こると、「日本人とともに生きたい」と2012年に日本国籍を取得し、日本に永住すると表明した。13年には文楽三味線の奏者・越後角太夫さんを養子に迎えている。
平野さんは言う。
「キーンさんが存在としていなくなったのは寂しいし、とても残念です。けれどキーンさんはたくさんの本を書き、次の世代を担う素晴らしい研究者も育てました。著作に触れながらその功績を偲びたいと思います」
(ライター・矢内裕子)
※AERA 2019年3月11日号