陸上長距離の選手は、ほとんどが駅伝での活躍を期待されての雇用。実業団連合に登録できないと競技を続けられないケースが多い (c)朝日新聞社
陸上長距離の選手は、ほとんどが駅伝での活躍を期待されての雇用。実業団連合に登録できないと競技を続けられないケースが多い (c)朝日新聞社
為末さんは「陸上界の“常識”を世の中と同じにしなければ、陸上そのものが世間に受け入れられなくなる」と懸念する(撮影/岡田晃奈)
為末さんは「陸上界の“常識”を世の中と同じにしなければ、陸上そのものが世間に受け入れられなくなる」と懸念する(撮影/岡田晃奈)

 実業団の陸上選手は“円満退部”でなければ、「無期限で登録を認めない」という厳しい移籍制限がある。

【写真】実業団陸上の悪しき制度について語る為末大さん

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「ウチではできないの? “円満”は出さない。引退覚悟だね?」

 数年前、全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)常連の強豪企業に所属する主力選手が、練習方針の違いから移籍を求めた。冒頭はその際の監督からの発言だ。“円満”とは、陸上競技の実業団選手が所属先を円満に退部したことを示す「退部証明書」のこと。日本実業団陸上競技連合ではこの退部証明書を持つ者を円満移籍者とし、「円満移籍者でない場合は無期限で登録を認めない」という厳しい移籍制限を設けている。

 クイーンズ駅伝常連チームの元コーチ(30代男性)は言う。

「選手と指導者の相性はある。移籍して飛躍する例も多いです。でも、チームによっては頑なに移籍を認めません。この制度があるためにやむなくチームにとどまったり、引退に追い込まれる選手は大勢います。選手の可能性を閉ざす悪しき制度です」

 元陸上選手で、コメンテーターや経営者として活動する為末大さん(40)も指摘する。

「実業団選手は会社員。会社員は同業他社への転職も自由。仮にプロとみなすにせよ、所属先が認めなければ無期限に移籍できない現状は行き過ぎです」

 実業団連合側は制度について、「苦情は寄せられていないし、問題も把握していない」と説明する。だが、こんな証言も。

 前出のコーチが所属していたチームでは数年前、監督のパワハラが原因で、選手の大半が退部を求めた。監督は「走りたいなら俺に従え。イヤなら引退しろ」と移籍を拒否。最終的には、立場が上の部長が押し切って移籍を認めたが、威圧的な監督を恐れ、引退した選手もいた。

 日本代表経験もある現役の男子選手(34)も移籍で苦労した。彼は実業団からの移籍を2度経験している。最初は22歳のとき。新興チームのなかで中心選手として活躍したが、ロードとトラックの両方に力を入れたいと移籍を切り出した。監督は理解のある人で、話だけは聞いてくれた。しかし、すぐに「嫌がらせ」が始まった。移籍を申し出た直後に人事部から呼び出され、給与の過払いを理由に数十万円の支払いを求められたという。給与は手取りで14万円程度。抗議したところ請求は取り下げられたが、強い圧力を感じた。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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