かつて虐待の被害を受けた人たちが、当時の苦しみをアートで表現し始めた。作品に込めるのは、今まさに苦しんでいる子どもたちへの思いだ。
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上から伸びてきた腕でがんじがらめにされた女の子。蛇の化け物のような2人に追い詰められる人影。墨書された「魂」の文字に付けられたいくつもの赤い「×」印──。
昨年11月、名古屋市内のギャラリーで開かれた「毒親フェスinアートフェスティバル」は「虐待」と「望む世界」の二つに区切られ、ツイッターなどの公募で集まった30点が展示されていた。前出の作品が並ぶのは、「虐待」のコーナー。一方、「望む世界」の側には子どもが大人に抱きしめられたり、穏やかな光を浴びたりする絵が並ぶ。
「毒親」とは、スーザン・フォワード著『毒になる親』(1999年)から広まったとされ、虐待をする親などを指す造語としてSNS上などに広がった言葉だ。
展覧会を主催した名古屋市在住のデザイナー・浅色ミドリさん(32)もかつて、虐待の被害者だった。
社会保険労務士事務所を運営する父の暴力は、物心がついた頃には始まっていた。保育園時代、押し入れに閉じ込められると、上段からは一人で下りることができなかった。初めて疑問を覚えたのは小学校2年のとき。ラジオ体操に行きたくないと言うと、首根っこをつかまれ、玄関先にたたきつけられた。ひじとひざから噴き出した血に軒先の砂利が混じっていた。
「この人は本当に親なのか」
高校卒業後、父がいる故郷の熊本県水俣市を離れ、名古屋市の専門学校へ。引っ越しを手伝ってくれた母に初めて聞いた。
「けっこう、殴られたりしたよね。何で俺だけ?」
すると母はこう答えた。
「目が反抗的で気に入らなかったみたい。しつけの一つです」
それ以上、返す言葉はなかった。浅色さんは言う。
「虐待経験は話すことも、聞くことも苦痛です。自分も友人にすら話せなかった。アートで表現する形なら、虐待の深刻さを伝えられると思いました。絵を描くことでモヤモヤを払拭し、仕事や学校など何かを踏み出すきっかけになればうれしい」