小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、『幸せな結婚』(新潮社)
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、『幸せな結婚』(新潮社)
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水素爆発した福島第一原発4号機(右)。当初、「壁に、穴のようなものが開いた」と説明されていた (c)朝日新聞社
水素爆発した福島第一原発4号機(右)。当初、「壁に、穴のようなものが開いた」と説明されていた (c)朝日新聞社

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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 ようやく「今年は平成30年で2018年」とすらっと言えるようになったのに、もう年の瀬ですか!

 仕事で終わりゆく平成を振り返ることが多い年でした。個人的には17歳から46歳までの30年。高校2年の夏休みに姉を訪ねたニューヨークの一人旅で、世界貿易センタービルの屋上から眺めた青空は、無限の可能性に輝いていました。その年の12月に子どもの頃から漠然と怯えていた米ソの冷戦が終わり、これからはいいことばかりが起きるのだと無邪気に信じたっけ。

 1995年、平成7年の春に働き始める直前に阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を経験し、安全な世界の終焉を意識しました。両親が経験した戦争も終わったし、自分が生きていく日本は豊かで安全で平和な場所だと信じていたけど、そんなの幻想だったんだと気付いたのです。

 2001年、29歳の時に米同時多発テロが発生。17歳の夏に空を眺めた屋上が、白煙をあげて崩れ落ちていく瞬間を画面で見ながら、ラジオで実況しました。世界は変わった、と息子ブッシュ大統領が言ったけど、もう誰の宣言にも踊らされるものかと思いました。

 その10年後、足元の大地が揺れて2万人近い人が津波にのまれ、山の向こうの原発が爆発して、セシウム入りの水道水をそうと知りながら飲みました。生き延びるために。そんな日がくるなんて、想像もしていませんでした。あの日の前と後では私の世界は変わってしまったけれど、本当は毎日、絶え間なく不可逆的に変わっているのです、世界も自分も。そのことを思い知りました。

 あらゆる事象は何一つ決着がつかないまま、今年も暮れていくようです。人生は小説を読むように振り返ることはできるけど、自ら書くように生きることはできません。生きていることは変わってしまうこと。思いがけない出会いと別れがあり、それが幸福であったのかはわからないまま、もうあの日には戻れない自分を連れて、行き先知らずの旅は続きます。

AERA 2018年12月17日号