●ポツダム宣言がある限り戦前には戻れない

片山:五箇条の御誓文でシビルライツを与えるような形を取りながら、実際には維新から20年以上、憲法すら立てなかったのが明治時代です。やっと作られた大日本帝国憲法にしても、西洋近代立憲型と、前近代的ないし超近代的な天皇の神性を併存させようとしたので、解釈次第で天皇機関説も天皇主権説も成立してしまうものになった。シビルライツも半面でしか機能しない。シビルライツの国なら「一億玉砕」はスローガンにはならないでしょう。その反省に立ったのが、日本国憲法です。その前提としてあるのは、日本のポツダム宣言の受諾です。民主主義に基づいて基本的人権が保障される国に生まれ変わらない限り、日本の主権は回復できなかった。誰が憲法を作ったかよりも、憲法がポツダム宣言の趣旨に沿っているかが重要だったのです。ポツダム宣言の趣旨が憲法に盛り込まれているのだから、改憲をして戦前に戻ろうと思っても、それはできないことは覚えておくべきでしょう。

●9条をいじることに終始、改憲議論の「しょぼさ」

――安倍首相は「憲法は国家の理想を語るもの」だとして、「権力を縛るもの」とする解釈に否定的な発言をしている。

荻上:安倍首相の主張は1%は正しいけれど、99%は誤りです。憲法は国家の理想を実現させるための制度を定めるもので、その理想とは政治家の理想ではない。国民の理想を果たすために、国家にどの権力を与え、どの制限をかけるのかを憲法で規定します。自民党の憲法改正草案は国権が強化されて、義務が増え、国民の権利は制限されるというもの。自民党の「理想」に対して、国民が判断を下すことはできます。ただ、国家の理想を語るのであれば前文を変えるべきでしょう。戦後七十数年で何を反省し、何が足りなかったから憲法はこう変えますということを前文で記すことで国の理想を示す。前文に触れず、自衛隊違憲論をなくしたい一心で、9条をいじることだけに終始していることが、今の改憲議論のしょぼさを浮き彫りにしています。

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