片山:思想や歴史観という軸では対話ができなくなりました。

荻上:そうです。そうした中、リベラルのさらにカウンターとして位置づけられていた保守を名乗る人々が一部で論壇を作っていった。そこでは、30年前と変わらず「これは共産主義の生き残りだ」というとっぴな論理で、フェミニズムやリベラリズムを批判し始めた。杉田水脈議員の「コミンテルンのターゲットは日本。夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援などの考えを広め、日本の一番コアな『家族』を崩壊させようと仕掛けてきた」という言説などは最たるものです。

片山:ナチスが何でもユダヤの陰謀と言ったのと同じ、「いつか来た道」です。

荻上:アンチを攻撃するモードだけが温存され、歴史観や論理が完全に欠如しています。日本は連合国軍総司令部(GHQ)とコミンテルンが共闘した国ということなんでしょうか(笑)。こうした様相をみると、今は「態度」の時代になってしまったと感じます。ある振る舞いや態度を共有できれば、自分たちの身内だとみなされる。ネトウヨのサイトを見て朝日新聞的なものをたたいて「野党がだらしない」と言っていれば、何か社会にモノ申しているような気になり、自尊心も満たされる。メディアも含めて、私たちはこうした「態度」はプアーだということを発信し続けていく必要がある。

片山:狭い世界の中で、ジェスチャーで共感し合うというのは、かつての身分制社会における貴族の振る舞いですよ。語彙(ごい)が共通しているから、ある身ぶりができるから「この人は味方だ」と判断するとか、貴族社会のまね事をしているのか(笑)。近代以前に戻ったのかと錯覚します。

――安倍首相は在任中の憲法改正に前のめりだ。国会で発議されれば、私たちが国民投票で改憲の是非を問われる。そのためにも、これまでの憲法制定の意義、経緯を正確に知る必要がある。

荻上:これまでは立憲の失敗と再チャレンジの歴史でした。明治時代、日本は近代化のために国民を作り、シビルライツ(市民権)を与え、国家と国民で社会契約を結ぼうと試みた。そのために大日本帝国憲法を作ったが、明確に失敗したわけです。憲法が不完全だと、どんな歴史をたどることになるのかを知り、その再チャレンジの精神が日本国憲法となった。憲法は前時代の失敗を「もうこりごりだ」という感覚が作り上げてきたものでもある。人類が文明としての反省を永続的に継続しながら前進していく過程として、立憲の失敗があり、今につながっている。

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