お笑い芸人のマキタスポーツさんによる「AERA」の連載「おぢ産おぢ消」。俳優やミュージシャンなどマルチな才能を発揮するマキタスポーツさんが、“おじさん視点”で世の中の物事を語ります。
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近頃『越境芸人』という本を上梓した。賢明なアエラ読者ならもう手に取っていることだろう。
「在野」という言葉がある。公職、官職などに就かず、民間で活動する個人や、団体のことを指す言葉がそれだ。私はこの「在野」という精神に惹(ひ)かれる。私なりにこの言葉を表せば「外」とか「他所(よそ)」か。その逆は「内」とか「中(なか)」。
私は外の人だ。売れなかった時代は芸能界の外の人だったし、芸人の中の人からしてみれば他所の人だし、ミュージシャンからしてみても仲間ではない。
物書きにせよ、役者にせよ、そこには「業界」という「中」があることを私は知っている。人間生活には「外」と「内」があって、皆それぞれの環境のなかでそれを選択したり、強いられたりしながらも、そのどちらかの立場を取っているのだと思う。
私が在野に惹かれるのは、憧れからではない。ある種の「仕方のなさ」でそうなっている。「中」に入れたらそういう人生も良いだろうとは思う、でも、幼い頃から「外」にいた。頭の良い人たちは、もうその頃から「内」のロールモデルを生き、将来は地元の銀行か、県庁か、メディアに入ってエスタブリッシュメントとなる。そうなりたかったが、なにせ頭も、運動もなにもかも半端だった。音楽を志せば、周りから「おまえは何故笑わそうとするのか?」と訝(いぶか)しがられ、ならばと、芸人に舵を切れば「何をそんなに生真面目に」と揶揄(からか)われた。全てに居心地が悪く、なかなか芽が出ない。なので、積極的な意味じゃなく、そんな自分を認めるしか道は無かったというのが正解であり、永遠の在野としてやっていこうじゃないかと、ようやく開き直ったところである。我ながら矛盾していると思う。
同じ「日本という業界」にいながらにして、他所者を気取るということに衒(てら)いもある。しかし、そんな視点を持ってしまった私からしか見えないものは確実にあるのだ。