東京電力には、スポーツ界で一般的なフリーエージェント制度と類似の、社内人材マーケット制度というものがある。自分の能力を高く買ってくれる社内の他部門に売り込みをかけ、マッチングが成立すれば引き抜いてもらえるというものだ。とはいえ、これは建前であり、実際には社内でこのような引き抜き合戦が行われると、組織の和が乱されることとなるため、適用事例はごくわずかであった。

 筆者はかまわず、当時の国際部に売り込みをかけ、MBA取得から1年後の2005年に引き抜いてもらった。原子力の直属の上司が、理解ある人格者であることも幸いした。国際部で最初に取り組んだのは、オーストラリアの石炭火力プロジェクトであった。正直にいえば、筆者は火力発電事業にあまり興味はなかった。いずれ東京電力の海外原子力事業を展開するときに必要となる、海外プロジェクト・ファイナンスの知見を獲得する目的で、取り組んでいた。

 2005年当時、東京電力では原子力事業の海外展開は、まったく想定されていなかった。しかし、筆者はじり貧の国内電力事業、および国内原子力産業活性化のためには、世界に誇る日本の原子力技術の海外展開と国際標準化の推進が不可欠と確信していた。MBA取得を目指したのも、それが大きな目的の一つであった。とはいえ、そのようなチャンスが来るのは10年先だろう、と思っていた。

 しかし、2006年はじめ、米国の大手発電事業者NRGエナジーのデイビッド・クレーンCEOが、ふらりと東京電力を訪問した。そして、「テキサス州に原子炉を2基建設する(STPプロジェクト)ので、東京電力も参画してほしい」と打診してきた。

 建設する原子炉は、東京電力が世界ではじめて建設・運転に成功した、ABWRという最新型のものだった。NRGエナジーがABWRを選択したのは、米国政府が打ち出した原子力推進政策の支援対象である第3世代炉のなかで、実際に建設・運転実績がある唯一の原子炉であるため、プロジェクト・ファイナンスの成立可能性がもっとも高いという見込みからであった。

 プロジェクト・ファイナンス成立の観点からは、日本でのABWR建設・運転の元締めである東京電力に、STPプロジェクトでの技術支援に加えて、出資参画もしてもらうことが必要条件であった。NRGエナジーから東京電力への、熱烈なラブコールがはじまった。

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しかし社内では、「夢物語」だとけんもほろろな反応が…