著作権はもちろんのこと、ラジオやステレオ機器も普及しはじめて、宣伝、流通、消費の循環が育まれた。作家に入る印税のシステムも出来上がった。これにて、19世紀までの音楽家の数とは桁違いに「作家」が増えるようになった。王侯貴族や、宗教というパトロンではなく、大衆がパトロンとなる課金モデルが確立。複製され、何度も同質の音源が聴けるメディアが大量に販売された。
国内では国産のポップスが作られ内需も整った。更にCDの時代となって、家電メーカーの企業努力が実を結び、爆発的にCDが売れまくったことは記憶に新しい。
時代は変わって、今やサブスクリプションなるシステムが出来て、音楽の聴かれ方が激変。1カ月千円程度払えば、数百万曲の中から好き放題曲が聴けるのである。考えてみてほしい、それだけの数「名曲」があるのだ。これを名曲デフレ、作家デフレと言わずして何という。
さて、「みんなが知っている歌がない」とおじさんは言う。
注意しなくてはいけないのは、ここで言う「みんな」とは「おじさん」のこと。本当の意味でのみんなではない。“世間を動かしているのは自分たち”という思い込みがあるおじさんたちは、自分の知らないことで盛り上がっているのが許せないのである。作家が多いとか、名曲が多いとかはまた別の問題だ。
※AERA 2018年9月17日号