私は電話で知らせを受けて、すぐに東京拘置所に駆けつけ、静岡から急ぎやって来たお姉さんと合流しました。面会室で『袴田さん、再審開始決定出たよ!』と大きな声で吉報を伝えました。ただ、袴田さんはキョトンとしていて『そんなの知らん』という感じでした」

 一方の検察側は即時抗告した。18年6月に、東京高裁は原決定(静岡地裁決定)を取り消し、再審請求を棄却。また再審開始は遠のいた。

 だが弁護側もすぐに特別抗告し、20年に最高裁は再審棄却をした東京高裁決定を取り消し、高裁に審理を差し戻した。そして、23年3月13日。東京高裁は再審開始を認める決定をした。東京高検が特別抗告を断念したことで、再審開始が確定した。

 4月10日には、裁判官3人、検察官1人、弁護団15人、それに姉の秀子さんも加わって、静岡地裁で初の「三者協議」が行われた。

「私も出席しました。検察側としては有罪を立証していくか、もう立証を諦めるのかを決めるのに3カ月かかるから、7月10日までに決めたいということでした。仮に、検察側が有罪を立証していくとなると、証拠を出してまた長引く可能性があります。有罪立証を放棄すれば法廷自体は1~2回で結審すると思います。検察は特別抗告を断念したのだから、時間の引き延ばしは許されません」

 戸舘氏が弁護士になってから16年の歳月が流れたが、現在の心境をこう語る。

「私が弁護士になりたいと思ったきっかけが袴田事件でした。その意味では、ひとつの結果が出つつあり、いい方向で進んでいるのは本当によかったという思いです。あともうひと踏ん張りですね。私は現在進行形で他の冤罪事件の弁護も抱えています。無実の人が間違って逮捕、起訴され、有罪とされることなどあってはならない。でも、まだそうした人がいることに、世間の関心が向いてほしいと思っています」

 袴田事件を知って人生が大きく変わった青年は、弁護士として冤罪の被害者を救うために走り続けている。

(AERA dot.編集部・上田耕司)

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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