1度目の脳梗塞から復帰し、テレビ番組で熱唱する西城さん。この5年後、再び脳梗塞に襲われる=2006年 (c)朝日新聞社
1度目の脳梗塞から復帰し、テレビ番組で熱唱する西城さん。この5年後、再び脳梗塞に襲われる=2006年 (c)朝日新聞社

 歌手の西城秀樹さんが16日、急性心不全で亡くなった。最期までステージに 立つことにこだわったスターの晩年は、脳梗塞の後遺症との闘いの日々だった。

*  *  *

 4月14日。栃木県足利市で開かれた「同窓会コンサート」。往年のスターの共演の輪の中に西城秀樹さんの姿もあった。これが、西城さんのラストステージになってしまった。

 会場の足利市民会館の関係者はこう振り返る。

「若いころの秀樹さんのイメージとはギャップがありました。同年輩の共演者は元気ハツラツで、並んで立つと浮いてしまう感じはしましたね」

 ステージでは、前日が誕生日だった西城さんのバースデーイベントが行われ、はにかんだ笑顔で応える場面も。しかし、共演者に支えられるように大ヒット曲「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を合唱した際は、アルファベットを両腕で表す振り付けをするのがやっとの様子にも映ったという。

 享年63。郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれた時代のファンからは、早すぎる死を惜しむ声が相次いだ。小学生のころ、部屋に上半身裸でポーズをとる「ヒデキ」の特大ポスターを貼り、「傷だらけのローラ」を愛唱していたという、50代の会社員女性はこうつぶやいた。

「ショックです。旅立ちが早すぎます」

 西城さんは、2003年と11年の2度、脳梗塞(こうそく)を発症。そのときの対応から、西城さんの責任感の強さがうかがえる。

 最初の発症は48歳。韓国のホテルで洗面台の鏡に映った自分の顔に違和感を覚えた。「左の頬が少し下がり、ゆがんでいる」ように見えた。現地の病院で「脳梗塞の疑い」と診断されたが、当日夜のディナーショーには予定通り出演。翌日、帰国後に空港から病院へ直行し、脳梗塞の確定診断を受けた。

 2回目は自宅で異変が起きた。朝、足先がもつれて階段から転げ落ちた。それでも、リハーサルをこなした後に受診。翌朝、病院で目覚めると右半身が動かなくなっていた。

 西城さんの死因とされる心不全と脳梗塞に因果関係はあるのか。国立循環器病研究センター心不全科部長の泉知里医師はこう指摘する。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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