信田:団塊の女性は、同世代の男性同様、戦後民主主義の教育を受けた世代。男女平等を疑わず、多くは恋愛結婚した夫との夫婦関係も平等だと信じていた。ところが実際は、仕事を理由に家事にも子育てにも非協力的で無関心な男尊女卑の夫に幻滅し、孤立していった。「私の人生こんなはずじゃなかった」という裏切られ感から、母は娘にこう言い続けるんです。「女だって手に職をつけなくちゃ」「結局最後に笑うのはいい大学を出た人なの」
斎藤:本を出した当時、団塊世代の母親が退場したらこの問題は緩和されるのでは、という仮説を持っていたのですが、先ほどのお話だと、世代が変わっても母娘問題は続いている?
信田:団塊母とその娘の関係は、母が「女がサバイブするための知恵を与える」という形をとった、ある意味巧妙な教育虐待でした。ところが、もっと若い世代で最近見受けられるのが、憎悪や恐怖、嫉妬といったむき出しの感情を娘にぶつける母。街角や電車で子どもを大声で叱りつけたりたたいたりする母親を最近よく見かけますが、あれは叱ってるんじゃない。自己中に怒ってるだけ。いわば「むき出し系」で、よりわかりやすい虐待になっていると言えます。「ありのままの私でいい」「自分の感情に素直であることは素晴らしいことだ」というような風潮が、おかしな形で若い親たちを席巻しているんじゃないかと危惧します。
●反作用のように強くなる家族主義・家族礼賛
斎藤:団塊母は必ず「あなたのため」という接頭語をつけた。その呪いの言葉によって、娘は母親からひどいことをされても、反射的に「こんなに自分のことを思ってくれてるんだから」というためらいが身体のレベルで生じる。罪悪感が身体化されているんです。だから反発できない。罪悪感を持たせて支配することを「マゾヒスティックコントロール」と呼ぶのですが、これは息子には効かない。母親にどんなに尽くされても、息子は感謝も罪悪感も感じないんです。