ヤマヤ醤油での「浜納豆」の菌付け作業。蒸した大豆を室に広げ、一粒一粒麹菌をまぶしていく(撮影/山本倫子)
ヤマヤ醤油での「浜納豆」の菌付け作業。蒸した大豆を室に広げ、一粒一粒麹菌をまぶしていく(撮影/山本倫子)
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ヤマヤ醤油の浜納豆はネットで購入できる。100g460円の浜納豆ほか、きざみ浜納豆など各種ある(撮影/ライター・福光恵)
ヤマヤ醤油の浜納豆はネットで購入できる。100g460円の浜納豆ほか、きざみ浜納豆など各種ある(撮影/ライター・福光恵)
カクキューの八丁味噌は、首都圏のスーパーなどでも入手可能(撮影/ライター・福光恵)
カクキューの八丁味噌は、首都圏のスーパーなどでも入手可能(撮影/ライター・福光恵)
家康は薬草のスイカズラを漬けたリキュール「忍冬酒」も愛好していた。「浜松忍冬酒の会」が復活させ販売中(撮影/ライター・福光恵)
家康は薬草のスイカズラを漬けたリキュール「忍冬酒」も愛好していた。「浜松忍冬酒の会」が復活させ販売中(撮影/ライター・福光恵)

 平均寿命が35歳前後だった江戸時代において、享年75歳とダブルスコアのご長寿だった徳川家康。その背景には現代にも通じるような、腸内環境を整える食生活があったようだ。徳川埋蔵金ならぬ「徳川埋蔵菌」を生み出した食品に迫る。

【家康も大好物だった「浜納豆」はこちら】

『たべもの戦国史』『戦国の食術』など戦国武将の食生活についての著書も多い食文化史研究家の永山久夫さん(85)によると、家康は知ってか知らずか、麦飯や八丁味噌、浜納豆など、腸内環境に良い食品を好んで食べていたという。

 せっかくなので、家康がおなかのなかに隠し持っていた埋蔵菌の由来となった菌を探して、昔ながらの製法を守るメーカー2社を訪ねることにした。まずは、愛知県岡崎市にある八丁味噌のメーカー「カクキュー」。

 家康が生まれた岡崎城から西へ八丁行ったところにある八丁村。ここで生まれたのが、八丁味噌だ。カクキューは江戸時代初期の創業以前から味噌造りを手がけ、岡崎藩に代々味噌を納入してきた。

 八丁味噌は、一般的な米味噌とは違い、豆麹に塩を加えて熟成させる豆味噌の一種。職人が手作業で2年以上をかけて天然醸造させて造り、食物繊維のような働きもする黒色の成分、メラノイジンがたっぷり含まれる。

「塩分、ミネラル、タンパク質が豊富で、日持ちもするため、三河武士は兵糧として持ち歩いたそうです」

 とカクキュー企画室の近藤ちかこさんは言う。

 創業当時から、変わらない製法で八丁味噌がつくられる古い味噌蔵を見せてもらった。この蔵独特の菌が、壁や天井、そして江戸時代から繰り返し使われている大きな木桶のすみずみにすみ着いて、発酵中の新人味噌たちに絶妙なコクを与えているという。ここに、家康の埋蔵菌でいい仕事をした菌の親戚がいるのかも。見えないけど。

 もう一つ、静岡県浜松市にある「ヤマヤ醤油」にもお邪魔した。見せてもらったのは、浜納豆の菌付け作業。浜納豆とは、大豆を麹で発酵させたネバネバしない納豆のことを言う。途中まで、八丁味噌の作り方とよく似ているが、発酵させた後、最後に天日干しして、うまみや栄養を凝縮させるのが特徴だ。

 同社社長の金原利征さんが教えてくれた。

「浜納豆の名付け親は、実は家康公と言われています」

 そもそも浜納豆は、浜松の寺などでつくられていたため、寺納豆と呼ばれていた。家康はこれが大好物で、到着するのを心待ちにしていたという。

「『浜名の納豆』はまだか、と家康公が言ったことから、やがて浜名納豆、浜納豆に変化していった。このあたりでは学校給食に出るほど親しまれている納豆ですね」(同)

 一粒ご馳走になってみる。八丁味噌のコクがギュッと詰まった丸薬のようで、最初はギョッとするが、もう一粒、もう一粒とつい手を出してしまう中毒性も。ちなみにそんな大人の味わいがちびっこたちには不評で、悩んだ給食職員が麻婆豆腐の調味料に使ったところ、コクが深まり大人気に。

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