撮影:石川武志
撮影:石川武志

 再びインドを訪ねたのは80年。当時、インドの玄関口となっていたのがコルカタ(カルカッタ)だった。

「この街を起点にインドを撮影していたこともあって、ぼくにとってカルカッタはインドの原風景だった。そこの祭りでまたヒジュラと出会った」

「チャートプジャ」と呼ばれる秋の祭りでの出来事だった。祭りで正装した女性がヒジュラの前にひれ伏し、それをまたぐようにヒジュラが踊っていた。

「なんなんだこれは、と思った。パキスタンで目にしたヒジュラとはかなり違っていた。子どもを授かりたい女性がヒジュラに願っていた。ご婦人にとってヒジュラは両性具有の神の使いなのでしょう」

■何度も監禁された

 インドには10万~20万人のヒジュラが存在しているという。ヒジュラは数人から十数人の疑似家族「ファミリー」をつくり、母親役の「グル」を中心に暮らしている。

 インドの人々は子どもが誕生したときの祝いの儀式「バッチャー・バダーイ」や、婚礼の儀式「サーディカ・バダーイ」でヒジュラに祝ってもらう。それに対してヒジュラは礼金を受け取る。

「ヒジュラと儀式を行う家は、寺と檀家(だんか)のような関係です。伝統的な文化のあるところではヒジュラは尊敬されていますから、みんな道でヒジュラと会ったらあいさつをする。でも場所によってかなり違うんです」 

撮影:石川武志
撮影:石川武志

 伝統的なヒジュラとは対極にあるのが、今回の写真展の舞台であるインド最大の商業都市ムンバイのヒジュラである。

「ムンバイはポルトガルやイギリスの植民地だったころの影響を強く受けた街です。ここではヒジュラは不道徳な存在で、差別の対象となっている。本来の役割では食べていけないどころか、一般の職にもつけない。なので、売春をしたり、電車の中でお金を集めたりして暮らしている」

 ぼろぼろの売春宿を写した写真には古めかしい鉄格子が見える。

「これは『ゲージ』という、売られてきた女性が逃げられないようにする昔の名残です。入り口には用心棒がいて、客だけが出入りできる」

 石川さんは2000年代に集中的に売春街のヒジュラを撮影した。間隔を空けないで撮りにいかないと顔を忘れられ、「お前は誰だ、となってしまう」からだ。

「もう何回も捕まって、監禁されました。金もカメラも全部取り上げられた。取り返しにくる、と言ったら、カメラだけは返してくれました」

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