一般社団法人「くーのす」代表 高原ふさ子さん(58)/他界する3日前、自宅で母親の啓子さんを介護する高原さん。介護中に退職し、前職の経験を生かして介護用品の企画デザインを行う(写真:高原ふさ子さん提供)
一般社団法人「くーのす」代表 高原ふさ子さん(58)/他界する3日前、自宅で母親の啓子さんを介護する高原さん。介護中に退職し、前職の経験を生かして介護用品の企画デザインを行う(写真:高原ふさ子さん提供)
高原由津莉さん(23)/母親のふさ子さん(右)と、自宅介護の末に看取った祖母の故・啓子さんの遺影とともに撮影。看取りの翌日、祖母の遺影持参で、「おばあちゃんお疲れ会」と称して、親子で箱根に温泉旅行に出かけたという(撮影/鈴木芳果)
高原由津莉さん(23)/母親のふさ子さん(右)と、自宅介護の末に看取った祖母の故・啓子さんの遺影とともに撮影。看取りの翌日、祖母の遺影持参で、「おばあちゃんお疲れ会」と称して、親子で箱根に温泉旅行に出かけたという(撮影/鈴木芳果)
柴田久美子さん(65) 一般社団法人「日本看取り士会」会長/2009年4月、島根県松江市で看取り前の女性宅を訪問時に撮影。自宅で看取る文化を再興するために、全国各地で看取り士の養成に注力中で、301人の看取り士がいる(17年10月末時点)
柴田久美子さん(65) 一般社団法人「日本看取り士会」会長/2009年4月、島根県松江市で看取り前の女性宅を訪問時に撮影。自宅で看取る文化を再興するために、全国各地で看取り士の養成に注力中で、301人の看取り士がいる(17年10月末時点)
医療機関における死亡割合の推移(AERA 2017年11月20日号より)
医療機関における死亡割合の推移(AERA 2017年11月20日号より)

「看取り士は今年10月末時点で300人を超えました。最近は余命告知を受けた親を自宅で看取るために、看取り士資格を取る人も増えています。大病院の裏口ではなく、狭くても自宅玄関から堂々と親を送り出してあげたいと考える人たちです」

【図】医療機関における死亡割合の推移はこちら

 一般社団法人日本看取り士会の柴田久美子会長(65)はそう話す。彼女はかつて島根県の離島で、病院ではなく生まれ育った島で死にたいという人たちを集めて看取りの家を運営。島内外で200人近い高齢者をその胸に抱いて看取ってきた。2012年には日本看取り士会を設立。岡山市に本部があり、全国6カ所に研修所がある。

「私たち看取り士は余命告知を受けてから長い場合で3カ月、短いと2週間で、ご本人の状態を見ながら定期的に自宅などを訪問します。時給4千円です。ご本人が死を受け入れて幸せに逝くために、ご家族が幸せに看取るために、作法や考え方をお伝えしていきます」(柴田さん)

 近所の医師との連携も行う。自宅死の場合、医師の死亡診断書がなければ、警察が来て事情聴取などが行われるためだ。
 看取り士をテーマに9月に出版した拙著『抱きしめて看取る理由』(ワニブックス【PLUS】新書)でも取材した、高原ふさ子さん(58)と長女の由津莉さん(23)にあらためて話を聞いた。高原さんは実母を看取るために看取り士になった一人。

●自宅マンションで介護

 高原さんの母の啓子さん(当時83)が脳卒中を発症したのは13年5月。右半身マヒで口もきけず、自力で食べることもできない寝たきりになった。延命治療をしきりに勧めてくれる病院に、高原さんは「死は病気じゃないから延命はしたくない」「母は自宅で看取りたい」と訴え続けた。だが、働きながら自宅で介護するには胃ろうが避けられないと知り、断腸の思いで受け入れた。

 都内の自宅マンションで介護生活を始めたのは同年10月。会社員として働きながら、日中はデイサービスなどをフル活用する生活だった。当時、学生だった由津莉さんも、祖母を退院させて介護をすると聞いて自宅に戻った。由津莉さんにとっての祖母は、幼かった自分をおんぶして散歩に連れていってくれた優しいおばあちゃん。

 高原さんは、幼かった娘が散歩時に祖母が愛用していたコートを引きずってきて、散歩をせがんでいた光景を覚えている。

次のページ