●同い年の日独首相類似点と異なる人物像
激烈な権力争いが繰り広げられる政界で、長く首相のポストに居座り続けられたのは、自他党の反対勢力を徹底的に抑え込む負けん気の強さと、国民の期待をつなぎとめるだけのアピール性があったからだ。したたかで、時に強権的な両氏だが、実はあまりウマが合わない。歩んできた政治人生を振り返ってみると、類似点が多い半面、異なる人物像が浮かび上がってくる。
メルケル氏は、冷戦下の西ドイツで誕生後、東ドイツへ移住した。父は牧師で母は教諭、政治とは無関係の家庭で育ったポーランド系ドイツ人だ。人付き合いはいいが目立たない。内気だったというメルケル氏は、大学で物理学を専攻し、東ベルリンで東ドイツ科学アカデミーに就職した。
転機が訪れたのが89年。きっかけはベルリンの壁の崩壊だった。ドイツ再統一へ時代が動き始める中、科学アカデミーを退職。東ドイツにとっては「民主主義の出発」となった機会に、それをそのまま党名とした新党の立ち上げに加わった。この時、35歳。本格的な政治人生の始まりだった。
一方、このころの安倍氏は、79年から勤務していた神戸製鋼所を辞め、外相だった父、晋太郎氏の秘書官になって約7年が経っていた。学生時代は人付き合いがよく、おとなしい青年だったという。祖父に岸信介、大叔父に佐藤栄作という両首相経験者を持つ名門政治一家出身で、生まれた時から政治は身近にあった。憲法改正への執念は岸氏の遺志を継いだと言われるなど、一族の保守の流れを強く受け継ぐ。
衆院初当選は93年。そして、出世階段を一気に駆け上がることになるが、そこには小泉純一郎氏の後ろ盾があった。00年7月の森喜朗政権下、小泉氏の推薦で内閣官房副長官に就任。その後の小泉政権下では03年、当選3回で閣僚未経験ながら自民党幹事長に大抜擢された。05年には官房長官として初入閣。そして06年9月、小泉氏の次の首相として権力のステップを上がった。