市ケ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入して、「憲法改正に決起せよ」などと演説する三島由紀夫。
三島由紀夫 みしま・ゆきお(1925 -1970)
小説家、劇作家。1944年、『花ざかりの森』刊行。代表作に『仮面の告白』『禁色』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』、戯曲『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』など。写真は市ケ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入して、「憲法改正に決起せよ」などと演説する三島由紀夫。

 三島由紀夫が戦後の日本文学を代表する作家であることは論を俟たない。1970年に陸上自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺するまで、実に多くの作品をこの世に残した。その比類なき才能の源泉は、多々あった“コンプレックス”だともいわれる。劇作家の平田オリザさんは、三島の代表作『金閣寺』の根底には、三島特有のコンプレックスがあったと説く。(朝日新書『名著入門』から一部を抜粋、再編集)

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 二〇〇〇年代初頭のこと。フランスでの仕事が多くなってきた時期に、彼の地の新聞記者からよく、三島作品との違いを聞かれて閉口したものだった。日本の戯曲と言えば三島氏のものしか知らないフランスの批評家や記者たちに、私の作品は奇異に映った。私は、「三島氏が日本最高峰の劇作家であることは間違いないし、それと比較していただくのは本当に光栄だが、日本の劇作家とひとくくりにされるのは心外だ。作家は一人ひとり違うのだ。私と三島氏の共通点は背が低いことぐらいだ。そして私が三島氏に勝っているところがあるとすれば、私の方が三センチ低いという点のみだ」と答え続けた。

 いや、もう少し正確に言うなら、次のような言葉も付け加えた。

「三島作品は、日本と日本人が西洋文学に追いつき追い越せと努力を重ねた、その結晶のような作品だ。題材や内容は日本的なものが多いが、その論理構成は極めて西洋的で、翻訳をしてもそれが崩れることはなく、すなわち皆さんに読みやすいものとなっている。私の作品は内容は極めてグローバルで、多言語の舞台も扱っているが、表現形式が日本的なのだと思う。私の多くの戯曲は、皆さんになじみのある題材を、日本人の思考様式に乗せて発話させている」

 三島由紀夫はすぐれた小説を多く残したと同時に、劇作家としてもめざましい活躍を遂げた。ただここでは、やはりその代表作である『金閣寺』を取り上げたいと思う。

 日本海沿いの辺鄙(へんぴ)な貧しい寺に生まれた主人公溝口は、僧侶である父から、「金閣ほど美しいものは此世(このよ)にない」と聞かされて育った。身体が弱く重度の吃音(きつおん)でもあった溝口は強いコンプレックスの中で成長していく。やがて父の勧めもあって、彼は金閣寺に修行に入ることとなる。

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平田オリザ

平田オリザ

1962年東京都生まれ。劇作家、演出家、劇団「青年団」主宰。芸術文化観光専門職大学学長。江原河畔劇場・こまばアゴラ劇場芸術総監督。国際基督教大学教養学部人文科学科卒業。94年初演の『東京ノート』で翌年第39回岸田國士戯曲賞受賞。98年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。2001年初演の『上野動物園再々々襲撃』で翌年第9回読売演劇大賞優秀作品賞、02年『その河をこえて、五月』で第2回朝日舞台芸術賞グランプリ、ほか受賞多数。18年初演の『日本文学盛衰史』(原作/高橋源一郎)で翌年第22回鶴屋南北戯曲賞受賞。主著に『芸術立国論』(集英社新書)、『わかりあえないことから─コミュニケーション能力とは何か』『下り坂をそろそろと下る』(共に講談社現代新書)、小説『幕が上がる』(講談社文庫)など。

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金閣は永遠に儚い美の象徴