玉壺は鬼化してからも「子どもの肉を喰う」ことと、「自分の体を改造する」ことを好んだ。死体への異様な執着、子どもをなぶり、オモチャのように扱う異常性は、人間時代の性格そのままなのだろう。

 そんな玉壺が刀鍛冶の里で直接対決するのが、14歳の若き柱・時透無一郎と、10歳の幼い刀鍛冶の少年・小鉄であるのは、物語上、単なる偶然ではない。玉壺の嗜虐(しぎゃく)趣味が、この少年たちにどのような形で向けられるのかが、「対・玉壺戦」の注目すべき点のひとつでもある。

■玉壺の外見と人体

 玉壺が戦闘で使う技、血鬼術が「水・海水・水生動物」に関連するものばかりなのは、彼が「漁村育ち」であることが影響していると思われる。壺から出ている玉壺の体は、上半身には無数の腕が生えており、下半身はサザエ、あるいはヤドカリを思わせるような“先細り”のフォルムをしている。

 しかし、「人体改造」が趣味の玉壺は、自らの体を変化させることも可能で、小さな腕をたくましい2本の腕にすることも自在にできるはずだった。だとしたら、あの蠢く(うごめく)無数の小さな手は、なんのためのものなのか。

 考えられるのは、あの柔らかそうで幼い子どものような形状の「細い腕」は、彼の「美意識」にそったデザインだということだ。彼が今までに殺してきた、人間の子どもたちの手を模したものなのだろうか。玉壺の異様な美的感覚、か弱きものへの加虐性が、見ている者に恐怖心と不快感を植え付ける。

■残酷な性格を体現した血鬼術

 また、玉壺の攻撃は「拷問」を想像させるようなものが多い。上弦の鬼の中でも類を見ない、卑俗な戦い方だ。無数の針を飛ばす「千本針魚殺」は、針に毒が仕込まれているが、即死させるようなものではなく「ゆっくりと四肢の自由が奪われる」ものだという。「一万滑空粘魚」は毒を含んだ魚を広範囲に飛ばす攻撃で、この技が仕掛けられると、あたりは無差別に毒におかされる。鋭い爪を持つ腕が生えている金魚型怪物も、巨大タコのような触手も、相手を苦しめながら締め上げる攻撃で使われる。また、無一郎がとらわれる「水獄鉢」は、粘液に満たされた檻状の技で、その技にかかると窒息死するまで長い間苦しむことになる。

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