親の看取りは誰しもが経験するもの。しかし、ゆっくりと最期のお別れをすることができなかったと、後悔する人は多い。まだまだ元気だからと、話し合わずにいると、その日は急にやってくる。お墓のこと、相続のこと、延命措置のこと、そろそろ話し合ってみませんか? AERA 2017年7月10日号では「後悔しない親との別れ」を大特集。
故人をしのび、弔う。葬送儀礼や慣習は、地域によってさまざまだ。思わぬ差異に戸惑うこともあれば、心打たれることもある。全国の意外な慣習を、体験者と専門家に聞いた。
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神奈川県に住む40代の夫婦は、3年前、夫の父親の葬儀に参列した。夫の地元は和歌山県。こぢんまりした家族葬のあと、火葬場でのことだ。いよいよ荼毘に付す、厳かな瞬間に、係員は言った。
「どうぞ」
喪主である夫は、係員に火葬場の点火スイッチを押すよう促され、押した。彼は言う。
「その瞬間、自分が高校生の頃を思い出しました。親父は晩酌をしながら、祖父の葬儀のとき、『自分でボタンを押すのは嫌だったな』としみじみ言っていた」
思わず、嗚咽(おえつ)が漏れた。「あれを押すのは結構つらい」。そんな親戚の声が聞こえ、妻が背中をさすってくれた。
親は亡くなったのではなく、眠っているだけかもしれない。ありえないとわかっていても、そんな思いがどこかにあった。
男性は当時をこう振り返る。
「妻は『そんな習慣ははじめて』と驚いていましたが、親戚は『他人にやってもらうものじゃない』と言っていた。点火スイッチを押すことで、親との最期の別れに決着をつけられた気がします」
●慣習あってよかった
葬儀時、忙殺されがちな遺族に、慣習が、故人と向き合う時間をくれることもある。
山形県の山間部出身の男性(53)は、10年ほど前、父親の葬儀の際、近所に葬儀が済んだことを伝える「告げびと」を務めた。喪主である兄と2人、葬儀後の宴席の前に、20軒ほどの家々をひとつずつ訪ねた。